[コメント] 女の中にいる他人(1966/日)
フィルムの滑らかな連続感が最大の持ち味の作家が、ネガ反転やラストシーンのストップモーションなど、意図的にフィルムの存在を感知させる新技法に挑んでいる。柔らかな中間色を消して暗部と明部のくっきりとした画面に整えて、心の見えにくい部分から立ちのぼる霧のようなものをうまく表現していると思う。
冒頭、小林圭樹が後ろをなんとなく振り返りながら歩くシーンの不穏な出だしがこの映画のトーンを決めている。煙草を吸う手が下りると、「下りる手」のアクションつなぎで赤坂のビアレストランにつなげていくシーンや、映画の中で2箇所ほど見うけられたが、家の中のショットが、窓の外からのショットに突如切り替わっていくショットなど、この作家にしか出来ない鮮やかなつなぎ方には舌を巻く。
そして雨、稲妻、花火の使い方。特に稲妻で停電が始まり、停電が終わるまでの、この映画での最も重要な「告白」のシーンなど、何度も見てもうまい。花火のフラッシュバックもまたすごい。
日ごろ、派手な画面作りを嫌った監督が、晩年にいたって本質的には絢爛とした自分の持ち札すべてをさらしていく。
正直、三橋達也 の設定には疑問を持たざるを得ないが、それでも、女優陣の頑張りがマイナス分をも帳消しにしていく。火葬場のシーン、新珠三千代 と草笛光子 の互いに不審げな視線を交わすシーンのなまめかしさに注目したい。あの喪服の二人の美しさこそ、このプチブル・フィルム・ノワールのトカゲの地肌の底光りのような美しさの端的な露出部にほかならない。
各カットの室内セットの描写がリアルでしっかりとしているから、役者の動きも実に冴える。小物のデザインから、窓の外の庭部分のリアルこの上ない作りまで入念な仕上がりは、今もお手本だろう。新珠三千代の普段着は、実は非日常的に清楚であるが、リアリズム一辺倒に押し切っているのでもない成瀬巳喜男の審美眼をよく表わしている。
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