[コメント] ラ・ラ・ランド(2016/米)
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最初に見た時、違和感として残ったのは、ラストでセブとミアが、5年という歳月の流れがあったとはいえ、まさに「昔の恋人」として再会をし、別れた点であった。しかもミアは、ジャズ・バーの経営者となったセブの成功を知らないかったかのような驚き方。正直、この展開は一体どういうことかと困惑した。
しかし、改めて見直してみて納得。いや、何てことはない。この作品は、最初から5年前のL.A.(ラ・ラ・ランド)での出来事を回想として描いただけの映画だったんだね。つまりは、今はジャズ・バーの経営者として、そして全米で知らない者はないほどの売れっ子女優として成功している2人が、どうしてこの成功を手に入れることができたのか、そして、そのきっかけは何だったのかという、彼らの長い人生においての転機となった、その部分だけを切り取って描写しただけの、まさに「僕と私の人生の転機。その回想」とでもいうべき物語。だから、その部分だけを見させられた僕たちは、セブはミアを、そしてミアはセブを、当然のこととして愛し続けていなければならない存在として見てしまいがちなわけだが、例えば僕たちの人生にだって何人かの忘れられない、けれど今は何をしているのかよくは知らない「昔の恋人」たちがいるように、セブにとってのミア、あるいはミアにとってのセブも、過去において大切な存在であった異性のうちの1人にすぎないんだね。ただ、当然のことながら、その存在は今でも大きすぎるほどに大きいから、それがあの最後のお互いの思いが絶妙に入り混じったタラレバ的な回想になったわけだ。なるほど。
しかし、それはそれとして、そういった理屈を抜きにしても本作は、何度でも観たくなる魅力に溢れた作品だ。冒頭の群像シーンをはじめとする歌劇としての素晴らしさは言わずもがなだが、店の中から聞こえてくるピアノやクラクションなど、いわゆる「音」が効果的に伏線として扱われているところもニクイ演出だと思うし、楽曲の素晴らしさをより引き立てるライアン・ゴスリングとエマ・ストーンの「声」もすごくいい。
デイミアン・チャゼルという人は、本作や『セッション』を観たところ、決して抜群に秀でたストーリーテラーだとは思えないけれど、画面から発せられる爆発力というか、そういったところが本当に圧倒的で、とにかくもう一度観たいと思わせる、今のところは信じていい監督だと思う。とりあえずジャズ、ジャズときながらも、その振り幅の大きさで大いに魅せてくれたけれど、次はどういう方向へと我々を導いてくれるのだろう。若いけれど、次回作が本当に楽しみな人だ。
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