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[コメント] デッド・ドント・ダイ(2019/米)

出演者のおおよそは把握したつもりで見に行ったが、エスター・バリントまで出ているなんて誰も教えてくれなかったじゃないか! 不覚にも『カーマイン・ストリート・ギター』を見逃した私にとっては本に久々の再会だ。不敵な表情の可愛らしさは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』から変わっていない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







突出した煌きを持つカットや思わず身を乗り出してしまうような面白さを持つシーンには乏しく、ジャームッシュのベストフィルム候補にはのぼらないだろうが、映画にはまぎれもなくジム・ジャームッシュの時間が流れている。本格的なゾンビ襲撃が始まるまで、町と作中人物の紹介、ゾンビ発生の(とりあえず物語内で通用する範囲での)理屈づけ、ゾンビの習性と対処法といった事々を、「挿話」と呼ぶにも満たない小さな場景の連なりのうちにたっぷり一時間かけて語り起こしており、なんとも贅沢な時間の使い方だ。何が語ら/描か/撮られている時間を拡大/縮小するのか、それを決定するのが脚本〜撮影〜編集の勘所であるはずで、これに関しての定石めいたものも存在するのだろうが、そしてそれは粗く云って「映画を面白くするため」の定石にちがいないが、ジャームッシュは往々にしてそれに従わない(たとえばプロットの推進に貢献しない「日常会話」の一部始終をつぶさに写生する一方で、「脱獄」や「アジト侵入」の場面を省略してしまう、など)。従わないにもかかわらず抜け抜けと面白い映画を作ってしまう。彼独自の基準によるシーン配分がジャームッシュ映画に特有の時間を生み出すのだろう。あるいは、ゾンビの頭部を破壊すればよいことをアダム・ドライバーがあらかじめ知っている点などは『デッド・ドント・ダイ』が数多の従前のゾンビ映画を前提に置いていることの動かぬ証拠にほかならないが、その反面でこの時間の使い方は、まるで世界で初めてゾンビ映画(=ロメロ的ゾンビ映画。ヴードゥー・ゾンビ物を除く)を撮る者の態度のようだとも云えるかもしれない。ともあれ、ひとまずこの不均衡にこそジャームッシュと『デッド・ドント・ダイ』の妙味がある。

また「ゾンビの頭部を破壊すると黒い粉を噴き上がらせる」ヴィジュアルはゾンビ映画としての『デッド・ドント・ダイ』の大きな美点だが、そもそも今日のゾンビ映画隆盛の一因は「メイキャップと演技だけで怪物をそれらしく仕立て上げられる」すなわち「要求される予算の小ささ」という制作上のアドヴァンティッジにあったのではなかったか。しかるに噴粉のディジタルエフェクトにしても人体損壊や腸の精巧な造形にしても、ずいぶんとドルがかかっていそうだ。加えて、ティルダ・スウィントンの「正体」に関わる展開などに認められるジャンル越境/接合的な振舞いやメタフィクショナルな設定も併せて鑑みるに、これらはもっぱら観客の意表を突こうというだけの投げやりなギャグである以上に(もし企まれていたのが単にそれだけならば、その試みは失敗に終わったと評するほかない)、純-ゾンビ映画と反-ゾンビ映画を同時に目指す演出家の姿を示唆している。この映画に対する「何やら中途半端である」という印象は私も共有するところだが、それは作品が両極の中ほどに身を落ち着けているからではなく、両極を往復する速度がもたらすところの「残像」に起因する。

 以下、羅列的に取り留めなく記す。

 三名の警察官、ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、クロエ・セヴィニーのいずれもが眼鏡着用者であるというのは珍かな人物配置だ。

 ドライバーが運転する「スマート」はまず視覚的なギャグであり、『パターソン』の反転であるとともに、当然ながら時事的言及でもあるだろう。この時事的言及なるものを野暮として斥けたがるのは私を含めたある種の映画ファンの感心しない習性だが、時事的であるがゆえにセレーナ・ゴメスらの「ポンティアック・ルマン」との対照をよく引き出している点は認めねばならない(ポンティアック・ルマンはジョージ・A・ロメロナイト・オブ・ザ・リビングデッド』からの引用だそうだが、さすがにそれには気づかなんだ)。

 なるほど、これはやはりジャームッシュらしい「自動車」の映画である。よいカットの多くにはパトカーが絡んでいる。警邏で町を流すカット、車窓カットもそうだが、とりわけ車内カットのカメラセッティング・編集は一流の職人のように緻密だ。

 むろん「墓地」の映画でもある。とりわけゾンビをウイルス感染性に設定した多くの映画がおろそかにしがちな墓地を撮りこぼしていないあたり、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が正しく踏まえられており、上で云うところの純-ゾンビ映画的な側面を構成している。

 美術アレックス・ディジェルランドがジャームッシュ作品のプロダクション・デザイナーを務めるのは初めてだが、キャリアを瞥見する限り、マーク・フリードバーグの弟子筋に当たる人のようだ。

 スウィントンは歩行中、必ず直角で方向転換する。こういった身のこなしはめっぽう面白い。ジャームッシュというよりスウィントンの異能が為せる業だろう。一方、ひとたび車に乗ればむやみに小回りを利かせた蛇行運転をしたがる。

 空飛ぶ円盤の登場は大いに望むところだ。ただし、ジャ・ジャンクーと比較して「むしろ大胆さに欠ける」と断ずるのは慎むにしても、その「いかにも空飛ぶ円盤」なデザインはつまらない。もちろん「いかにも空飛ぶ円盤なデザインのつまらなさ」の面白みが敢えて狙われていることは諒解するし、その趣向自体は支持するが、もっと針の穴を通すように精密なコントロールで成立させた「これぞ!」と唸るデザインをジャームッシュには期待してしまう。

 ゴメスの連れ二人、オースティン・バトラールカ・サバトの役名は「ジャック」「ザック」らしいが、『ダウン・バイ・ロー』はむしろ拘置所の少年少女、マヤ・デルモントタリヤ・ウィタカージャヒ・ウィンストンに託されている。

(評価:★3)

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