[コメント] シベールの日曜日(1962/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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水面、ガラス、鏡など、透明な媒体を介した映像が美しい。池の水面に広がる波紋に揺らぐ映像。外の寒さのせいで曇る窓ガラス越しの風景。占いのシーンでも、女占い師が金魚鉢のガラス越しにこちらに目を向けてくる画が見られる。また、少女と約束した日曜にも関わらず知人の披露宴に同席させられたピエールが、うわの空で食卓に着いているシーンでの主観ショットがあるが、ここでも、彼が口にしているワイングラス越しに同席者たちの顔を眺めていく画によって、ピエールが彼らとの間にガラス一枚隔てた距離感があることが感じられる。
披露宴の食事の席から出たピエールが、一緒に乗馬をする男女とすれ違った後の、場面転換の導入として挿入されるメリーゴーランドのカット。勿論「馬」繋がりの編集なのだが、馬の隣りには鶏の形をした乗り物も見える。これは、少女がピエールに求めていた風見鶏を想起させる。
少女の、馬に乗った男性への憧れを口にする台詞や、大人びた口調でピエールへの愛を語っていたのに、公園で遊ぶ子供たちの輪に加わって、子供の世界に逃れてしまう様子など、少女のあどけなさがそのまま蠱惑的な魔性を感じさせる場面作りが実に巧み。
少女とピエールが、水面の波紋の中に入り、「私たちのおうち」と呟く場面や、微かに揺らぐ水面に二人が映る光景をそのまま一つのショットにしてしまう画には、夢見心地にさせられる。ピエールの恋人マドレーヌが、彼と少女の関係を知って後をつけるシーンでは、二人はやはり池に石を投げて遊んでいるのだが、この場面では池が凍っていて、あの幻想的な波紋は現れない。マドレーヌの視点の介入と、凍りついた水面が、二人の関係の終焉を微かに予感させる。
暖炉の前で話す二人。フランソワーズの「私が死んだら死んでくれる?」という言葉に「うん」とピエールが答えた後、暖炉の薪が落ちる音がし、カメラが画面右側のフランソワーズによると共に、彼女の手前に炎が被さる。こうした些細な要素によって、悲運を予告していく。
ピエールの、抑圧されたトラウマ的記憶は、記憶喪失という設定によってピエールが、過去がない存在、つまりは子供になるために要請されたものだろう。加えて、彼が死なせたのかも知れないアジア人の少女の顔を捉えたショットと、フランソワーズ=シベールとの出逢いの場面での、彼女のクローズアップとがリンクすることで、言わば死という絶対性が、シベールの存在に付与されるのだ。
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