[コメント] 護られなかった者たちへ(2021/日)
私は、近作で云うと『由宇子の天秤』や『空白』のような、ドグマ95っぽい(ダルデンヌっぽい)ドキュメンタリータッチの演出よりも、本作のような、はっきりと細部の外連味を示した演出が好きだ。
例えば、本作で描かれる、登場人物の怒りの表情、その際の目力、もっと云えば、眼球の演出に圧倒されるのだ。主演の阿部寛は全編機嫌が悪いが、福祉事務所の玄関前駐車場での清原果耶の凄まじい目。こんな清原は初めて見た。聴取シーンにおける佐藤健の黒目と白目の剥きよう。そして、ラスト近くの永山瑛太と緒方直人の眼球のアップ。その連打。
あるいは、ほとんどアクションシーンというものが無い映画だが、後景にスタジアムが見える、青い跨線橋での追跡シーン(逃げる佐藤健を追う阿部寛と林遣都)の画面作りなんかは、見事なもので、こういうシーンが挿入されるので、映画全体の満足度が上がるのだ。
また、上に書いた怒りの強度に対比するような、善意の人物として、倍賞美津子が登場するが、プロット展開上も最も重要な人物だと云えるし、演者としても、最近の助演仕事の中では、際立った名演じゃないか。避難所、あるいは、津波の跡も痛々しい彼女の家での、カンちゃんと利根くんとの3人のシーンには、何度も目を潤ませた。
さて、一応、連続殺人事件を追う刑事モノではあるのだが、犯人の動機についても、犯行状況についても、納得性が低く、この点がひっかかる観客も多いだろうとは思う。主張の真っ当さと、怒り(恨み)の大きさの、釣り合いが取れていない。だが、そういった難点をカバーする画面の力、圧倒的な怒りの力の画面への定着が、本作にはあると私は思う。瀬々敬久は凄い地点まで来ている。
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