[コメント] ちょっと思い出しただけ(2021/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
徐々に幸せに向かっていく失恋話。この作品で描かれているように、そのきっかけは、とるに足らないような、いつでもやり直せるような些細なことが多いのかも知れない。物語を時勢順に見ていった場合、選択と結果が強く意識付けされてしまうので、観客は「こうなって欲しい方」の選択をとろうと思えばとれるのにとろうとしない登場人物にストレスを感じてしまうだろう。頑張れば時勢順に並べても、この登場人物たちの選択を観客が納得できる選択としてとらえてくれるかも知れないが、結局、3年目の口喧嘩はあくまできっかけで、むしろそのあと、2人が日々の暮らしの中で状況を回復させようとしない「そこまででもない」関係だったことのほうが破局の本質だったのだろうが、それを2時間の中で描くのは難しそう。
『ペパーミント・キャンディー』ほど、この構成に強い必然性はないかも知れないけど、「それだけが原因ではない」という、因果関係で物事を見ないように描くというのに適しているのは確かなようだ。元カレと別れて初めての元カレの誕生日に、偶然知り合った男と寝たという4年目のエピソードの挟み方が上手かったと思う。この日彼のほうは元カノと初めてお互いを強く意識した商店街で、手を出せば寝られただろう、自分に憧れている劇団の後輩女子と歩いている演出は、時勢順ならあざとい感じになるだろうが、なにせ観客はまだそれを知らないからそうは思わないというのもよく出来ていると思う。
伊藤沙莉がルッキズム的には美人ではないという点(※)、ズケズケ物を言うし、ムードが高まってくるとガハハ笑いで茶化そうとするという、一般に浸透しているアンチフェミニンなキャラで、ちょうどいいかわいさ(あるいはちょうどいい感じのブス)の女性だからこそ、男をふって嫌味がないこのニュアンスになったのだろう。構成よりも池松壮亮と伊藤沙莉の芝居の面白さに比重がかかっているのは間違いないけど、韓ドラで別の役者でリメイクしても、それはそれでいけそうな気もするのは、ちようどいいかわいさの女の描き方が、二郎系ラーメンのように市場で急発展しているからだろう。あと喫煙する人を描かなくなった映像作品の中で、煙草を吸う若い女性ドライバーという描き方が、『ドライブ・マイ・カー』と並んで、自立した女性のアイコンとして登場したが、今後これは伸びるだろうか? でもセブンスターが今600円もするわけで、なんかリッチな嗜好品という感じもするし、これがアイコスとかになるといやらしい感じがするし、今後の動静に注目したい。
ともあれ、今の幸せは些細なことで壊れてしまうものだから、今の幸せを大事にしようよ、と思わせるデートムービーにはおすすめ。結局自己愛が勝利する『花束みたいな恋をした』よりはいいんじゃないか。
※うちの息子は伊藤沙莉がルッキズム的に美人なのだそうで、自分が「映像研…」なんかで知る前から好きだったそうだ。何事も決めつけはよくない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。