[コメント] 英雄の証明(2021/イラン=仏)
アスガー・ファルハディの語り口はまるで名人の落語のよう。死ぬほど見事なラストシーンが典型だが、映画基礎体力が高すぎる。この人が作ったら、どんな話でも面白くなってしまうのではないか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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冒頭の出所から遺跡のロケーションで掴みはOK。以後は精緻な情報のコントロールとアレヨアレヨの展開に翻弄されるばかりで、メチャクチャ面白かった。
心底ゾッとした場面は終盤に訪れた。ムショのおっさんが釈明動画を撮りたいと言い出して、スマホで主人公の息子を撮影する。吃音症の息子は懸命に喋ろうとする。それを見ていた主人公は、最初からやり直そうかと言う。するとムショのおっさんは、イヤこれでいいんだ。これがいいんだ。哀れみを誘うじゃないか。あ、今ちょっと笑ったな。ダメだ、もっと悲しそうな顔をするんだよ。
おっさんが映像の「演出」を始めるのである。確かにそれは拙い、原初の演出だ。しかしこれが、スマホや動画投稿サイトの普及とともに「意図を持って映像を演出する」人類が有史以来最も多くなった、この「現代」という度し難き怪物の断面なのである。明らかにファルハディ監督は、ヘビー級のパンチ(表現)を持っている。ハッキリ言ってこの映画には盗作疑惑があって(詳細は各自調査されたし)、映画を観る前は自分も気になっていたのだが、観てしまうとあーもう全然、そういう問題じゃねえわと言わざるを得ぬ。盗作か否かは、この映画の凄さにほとんど関係がない。ま、盗作だったらムショにでも入ればいいんじゃないですか。自分にとって重大なのは、この映画にヘビー級のパンチを確かに見たということなんだ。
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