[コメント] マイスモールランド(2022/日=仏)
父親からクルド文化の継承を期待されるこの一家の従順な小学校低学年の少年は、級友から君は何人なのと聞かれ答えに窮したようだ。在留許可を取り消され他県への移動という人権を取り上げらえた中学生の次女は、原宿へ遊びに行けなくなったことをこの世の終わりのように嘆く。クルドコミュニティと日本社会の通訳として、自分の時間を犠牲にして便利屋に徹する長女は、生き抜く術としての言葉の重要性を身に染みて知っているのだ。
日本に暮らす外国人一家のエピソードを綴るだけでドラマが成立してしまうのです。そう言わんばかりに川和田恵真監督は「今げんにある事実」を声高に叫ぶことなく、17歳のサーリャ(嵐莉菜)の身辺の“良い意味での狭い世界”を通して淡々と描く。この肩の力の抜けた演出に好感を抱いた。
本作では二つの問題が提示される。ひとつは日本の法務省による難民認定制度の教条的不寛容という不備。もうひとつは日本の社会のなかで大人になる外国にルーツを持つ子供たちのアイデンティティの揺らぎだ。前者は生きるための権利と場所の保証の問題であり、極論すれば手続き(制度)の問題に収斂される。とりあえずそれをクリアすれば、故郷を喪失した人々が「生存」するための最低限の第一関門は突破できる。一方、後者の根幹にあるのは、子供が成長の過程で必ず通る普遍的な問題だ。
途中から物語は前者(制度)から後者(アイデンティティ)の問題へ大きく舵を切る。通常、アイデンティティは家族、友人、世代、異性、貧富、職業観といった身辺環境のなかを自身の成長とともに通過することで確立される。ところが外国にルーツのある子供どもたちはさらに、国籍、言語、民族、宗教、文化、風習といった複数の「価値」のせめぎ合いと、その取捨選択に翻弄されることになる。
実はこのアイデンティティの葛藤は、私たちが在日コリアン世界を描いた秀作映画でも見てきたテーマだ。そんな普遍的な課題を、不法滞在とされる日本人になれない外国人の子供たちもまた、当然のように抱えているということを、何も知らない私(日本人)たちは、映画としてやっと見ることができたのだ。この視点からのアプローチは日本映画にとっても、さらに、硬直した難民認定制度を撃つ新たな“武器”としても、今後もっと多様に、もっと図太く展開される予感を持って、大いに期待します。
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