[コメント] 夜明けのすべて(2023/日)
三宅唱は今回も周到に定型を避けながら物語を語る。登場人物たちは何も主張しない。悪人も登場しない、というより人の悪い面を描こうとしない。みんな相手のことをよく見る、が不用意に見つめ合ったりしない。むしろ心理的にも物理的にも同じ方向を向こうする。
冒頭でPMS(月経前症候群)を抱え社会と相いれない藤沢さん(上白石萌音)の生きづらさがたっぷり描写される。しかし映画の中盤以降、その発作は彼女の生活の(自然な日常の)一部として描かれる。山添君(松村北斗)のパニック障害もまた具体的な症状描写は必要最小限に止められ、「生きているのが辛いが死にたくはない」という苦痛は、かつての職場の仲間たちの彼に対する距離の取り方で暗示される。
障害を抱えた人たちの「生きづらさ」を三宅唱は、藤沢さんや山添君(というキャラクター)を使って必要以上に強調したり代弁させたりしない。その三宅の「主人公になりすぎない節度」によって、私たち(観客)の過剰なエモーションは排除され、冷静に彼らの生きづらさに思いを至らせることができる。
クライマックス、二人の主人公を取り巻く人たちがプラネタリウムに集う。みんな心に「闇」を抱えている人たちだ。そう、私たちは生きている限り誰しもが「死者」への思いを心のなかに抱えている。人は闇に包まれてしまうことがある。でも闇のなかにいるときにこそ、私たちには外の世界が見えるのだ、という救いの言葉の説得力。
優等生的な正論主義に陥らず、世間の総体を悪意ではなく善意として描き、それに成功してる稀有な傑作だった。
少し鼻にかかり粘り気を含んだような声音の上白石のモノローグや劇中ナレーション。随所で繰り返される穏やかな劇伴。そんな通底する「音」が耳に心地よい映画でもあった。これもまた『ケイコ 目を澄ませて』と同じだ。
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