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[コメント] 蛇の道(2024/仏=日=ベルギー)

(オリジナル版未見)原版の評判並みに、恐ろしいものを観た感はある。実際、冒頭のノイズ、寒々とした曇天とパリの街並みのシーケンスから始まった胸騒ぎと心の乱れが最後まで止まらず、嫌な汗をかいた。しかし、監督らしい脱臼的な黒いユーモア(?)や都合良すぎる展開がシュールに転回する妙な味もあり、最終的には頭と心に徹底的にイタズラされた感が強い。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







新島の職業は、原版では塾講師であるらしい。数式について語るシーンが重要らしいのだが、ここでは職業を精神科医にし、ボナールを患者とすることによって「暴力・復讐による癒し」「復讐セラピー」というテーマが立ち上がっている。いうまでもなく、多くの映画で暴力は癒しだった。そこに最終的にはカタルシスや救いがないことも往々にあるものの、是非はともかく、そうだった。解放者、伝道者、癒し手としての新島の位置づけは、監督おなじみのテーマと言えるだろう。しかし復讐は劇物であって、中毒症状や副作用も引き起こす。それは人間の本能としてあるものなのであって、シンプルな構造を通じて、いやになるほどそれに向き合わされる。目を背けることもできず、見入らされる。「セラピー」を受け、追いつめている側のはずが追い詰められていくボナールに観客が重ねられている。拉致→拷問の筋の反復がサディスティックで巧妙だ。いやになるほどと書いたが、これも嘘であり、これを求めて映画を観る側面は確かにあるはずだ。物理的な側面でも心理的な側面でもスナッフフィルムそのものであるこの映画は、暴力装置としての映画の仕組みと観るものの関係を詳らかに解説している。

ルンバ(自動掃除機)が象徴するところは「復讐の持続可能性」「相手探し=自分探し」というテーマだろう。新島が過程を「捏造」するくだり(真相をある程度知った上で行っているのかは不明だが)とあわせ、重要な示唆だ。人間には復讐するべき相手が必要なのだ。新島は帰国して夫を殺してなお、新島が新島であるために「復讐」をやめないだろう。その機械的、自動的なイメージ。彼女にとっては「持続」こそが癒しなのだ(帰郷した主人公が最大の破壊者となるというモチーフも監督らしさである。また、これは、西島秀俊の「終わりによる癒し」と対比されている。「この異国で、先生は(薬物でなく)何を支えにされてるんですか?」という西島の問いかけも重要だろう)。監督自身の言によれば「復讐というシステムだけが息づいている」ということである。まさにこれに尽きるのだろう。これは十分に今も、これからも通用する哀しいテーマだ。真相がないように見せかけて真相があったとする筋の転覆がまた巧妙で、実に皮肉な作劇である。

<以下は面白かった点、演出の雑多な備忘>

・監禁している廃屋から自転車で帰る新島。脱力感はあるが、「日常化する復讐」というおぞましいテーマも同時に立ち上がる。

・倉庫の瓶詰遺体発見のシーケンスは『羊たちの沈黙』を想起。原版はどうなっているのだろう。

・「財団」関係者の仲良く並べられた遺体。若干間抜けにも見える銃撃戦。 延々と寝袋で引きずり回される財団の人間たち(特に森の長尺)。 ちょっとだけ(ここ重要)笑わせようとしている感じが意地悪。

洞口依子までとは言えないものの、柴咲コウはかなり良かったと 思う。役柄の意味が理性的に把握されているのが分かる。

・新島による、ボナールへの問いが繰り返される。「あなたはそれで満足なの?」問いかけて相手の価値を揺さぶる殺人者、解放者、伝道者というキャラクターは、いかにも黒沢清的と言えるだろう。

・やはりベストショットは、モニタールームでボナールを逆光で捉えるシーンか、「溶接」のシーンだろう。「溶接」の背後で試し撃ちするボナールは、その佇まいがシュールさに耐えられていないような気もするが。

・財団のアジトで幽霊のように出入りがなされる新島の演出。変な味・・・

(評価:★4)

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