[コメント] ゴルゴタの丘(1935/仏)
誰がイエスを磔にしたのか?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
今の今までイエスを処刑したのはピラト総督だと思っていたが、そうではなかったよう
だ。ピラトの揺れ動く心、それが物語の主要な1つになっているので、ここでは触れない。
イエスの有罪、死刑を望んでいたのは、議会(議員たち)と司祭(大司祭、司祭たち)だ。し
かし、大衆がNOと言えば、議会も司祭も無理強いは出来ず、群衆の中に金を使ってサクラ
(イエスを死刑にしろと云う)を潜り込ませる。この辺のストーリーは成程と思わせるが、
コワいのは大衆だ。一旦火が付けば、過激へ過激へと走り出す。欲望のはけ口を求めると
いうか、やれーやれーとののしり始めるのだ。だから、イエスを磔にしたのは、ピラト→
議会、司祭→本当の所は大衆という構図だ。
映画では最後にイエスが「司祭たちを責めてはいけない。彼らは何をしているか分かって
いないのです」と言うが、聖書の該当シーン(新約聖書、マタイ福音書第27章32〜56辺
り)を繰ってみると、そういうセリフは出て来ない。と言っても聖書は箴言の宝庫なの
で、どこかのページにあるのだろう。同第13章12〜15に似たような言葉がある。「彼ら
(群衆)は、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らない」結局、大衆は何も分かってい
ない。これが本当にコワい。
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