[コメント] 復讐するは我にあり(1979/日)
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しかし緒形 拳がとことん暴走していい筈の、というか本来する筈のこの映画で、三國連太郎はなんちゅうトコに収まっとるのか。三國の演ずる鎮雄は一見すると緒形の天衣無縫豪放磊落傍若無人な巌と比すると、父親だというのに何とも軟弱で淡白菲薄な人物に見える。しかし一寸した場面、例えば刑事が旅館に訪ねて来た際に、外聞を恐れて窓の戸を閉め、客を出迎える辺りの所作や目配りに感心してしまった。これを観ると佐藤浩市は矢張り「親父越え」にはまだまだだなぁと思う。佐藤は自分が格好良くなって来たと思ってるだろうが(『少年メリケンサック』でさえ)、どっこい三國はこの時点で格好良さを通り越しているのだ(如何に加津子(倍賞美津子)が鎮雄のズル格好良さに惚れたとしても、三國の演技はそうした鎮雄へは向かない)。
しかし(倍賞演じる)加津子はたくましい。夫=巌を見限るや、別のところで立ち位置を見つけてしまうのだから。でも女とはそういうたくましい生き物である事は俺も散々見て来たよなぁ。…
この2人のサイドストーリーは、「巌の "復讐" など神さんにゃち〜とも届きゃせん」という位、たくましく物語られている。本来「被害者」である筈のひさ乃とハル(清川虹子と小川真由美)のたくましさ(&愚かしさ)も同様。生きてるんだぜ、本来当たり前だよな。
そして死んでも吠える巌。俺にゃあのストップモーションは巌の声に聞こえたんだが(KADAGIOさん教えておくれ!)。最初に三國が「およっ!?」とか驚いているのが凄いよね。それから放る抛る。最後はこれでもか〜とばかりにブチまける。俺はああいうの好きです。
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