[コメント] 砂の女(1964/日)
<男>の目標は、新種の昆虫を発見して学会に認められ、自身の名前を半永久的に残すことだった。
あらゆる生命にとって最大の使命は種の保存である。 しかし、男性は妊娠できないし、子供を産めない。 生命の最大事業たる出産に際し、傍観者としての立場しか許されていないのだ。
彼等の多くは、そこに生命の喜びを見出すことが出来ないから、こぞって人工的創造行為に逃避するようになる。(或いは、あらかじめ逃避しておく。)学者、小説家、芸術家、職人に男性が圧倒的に多いのはこの為なんだろう(女に芸術は無理ってんじゃないです、一応。現に僕はジョニ・ミッチェル、有吉佐和子を尊敬してます)。男性が飯も喰わず、恋もせず、身形も気にせず、或いは家族も省みずに趣味・研究に没頭できるのは、自分の分身を後世に残そうという動物的本能の顕れであり、美化される程のことでも、糾弾されるほど特異なことでも、ない。
・・・<男>は生きた証を残すことに執着していた。
<男>は世の中を冷めた目で見ていた。遠い砂丘を訪れたのには、煩わしい現実社会、社会的制約からの逃避の意味合いも含まれていた。
そんな彼は、砂の流動こそ、力の最大の表現ではないかと考えた。 自身の形すら持たないこのちっぽけな粒子こそが実は最強なのではないかと。 叩いても、散り、流れ、元通り平均化される。
現実社会に於いては、自身が自身であるから、法に縛られ、倫理に縛られ、人間関係に、愛に、血縁に、土地、責任に縛られる。いっそ砂のように自分であることを放棄できたら、どんなに気ままなことか。
・・・<男>は砂になることに憧れていた。
生きた証を得ること、砂になること。この明らかに矛盾した二つの願望の、果たしてどちらを<男>は選択するか。それがこの物語の柱のように思う。
公開から30余年。時正にインターネット時代。
その名を永久に残すのも、砂となって好き放題やるのも、それ程難しいことではなくなった。
それだけに。
安部公房の発した問いは、こんな今を生きる僕達にズシリと重く圧し掛かる。
(俺は、砂にはなりたくない)
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