[コメント] 飢餓海峡(1965/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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窪塚君がやろうとしたのは多分これだろう。5、6歩助走して、フェンスを飛び越えダ〜イブ。
※※※以下追記(04/11/15)※※※
「飢餓」って、空腹の飢餓じゃないよね。人恋しい、他者を焦がれる飢えと渇き、の飢餓だ。という解釈で以下
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伴淳刑事が言っていたように、樽見京一郎(三国)は杉戸八重(左)を殺す必要はなかったんだよね。彼女は自分から樽見の過去を暴いて人に言いふらすような人じゃない。ただ、純粋に自分の感謝の気持ちを受け入れて欲しかっただけなんだから。それに気づいて、初めて樽見は罪の意識に苛まれる。このシーン(牢屋の中)は見せたね。
でも、同じことは八重にも言える。樽見の今の立場を考えれば、自分の存在が厄介であることは分かるはず。自分がいくら長年思いを募らせていたからといえ、それをそっくり受け止めてくれると思ったら、あまりにも自己中心的過ぎる。少なくとも、事を急いては、かえって樽見を依怙地にするだけだ。
八重もそれはわかっていた。だからいったんは引き下がろうとしたんだ。なのに、雨が降り出して、樽見が窓を閉めようとするから。樽見の指の怪我を見てしまったから。これが彼女の記憶にスイッチを入れた。彼女は止まらなくなってしまったんだ・・・。これは彼女のせいとは言えないね。誰のせいとも言えない。不幸な話だ。
不幸な話だ。けど、ちょっと待て。雨を降らした奴がいるだろう。演出家だ。二人の間の海峡は、越えられたかもしれないんだ。なのに、越えさせたくない奴がいた。それが演出家だ。なんでそんなことをするのかねえ。ひでえ野郎だ。
・・・と、最初観たときは思った。で(要約すると)、★2つ。二回目は、(要約して)よくできてるな、と。劇場で観たからかな。
男と女の間にある、互いを恋い焦がれる飢餓海峡。渡れる海峡もあるだろうけど、渡れない海峡もある。渡れなかった海峡を描いたんだな、と今は思う。渡り直したかったんだな、樽見は。名作じゃ。
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