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[コメント] カルラの歌(1996/英)

review 書こうとしてちょっと背景を調べてたら、な、なんとビンラディンの名前が出てきてびっくり! ケン・ローチが伝えたかったこととは(参考文献案内つき)―→
Amandla!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ビンラディンのことは後回しにして、まず、review 行きます。

 お調子者で、あまり物事を考えない軽い男を主人公にしたのは大正解だったと思えました。何故か?

 ケン・ローチ監督は、徹底的に自国の問題を考える人みたいですね、それも労働者階級のことを。『トレインスポッティング』(96年、ダニー・ボイル監督)に、しっかりと描かれていますが、この時期の労働者階級は徹底的にイジめ抜かれていた、という予備知識がないと、この映画の背景は見えてこないかもしれません。

 当然そういう時代では、政治について無関心層が増えるに決まっています。特に若い層が無関心。サッチャーがひどいヤツだ、ということはみんな薄々気づいている、というより新聞(左派系のデイリー・ミラーとかリベラルのガーディアンなど、『日刊ゲンダイ』にちょっぴり似てる新聞)が、がんがん政府批判の記事を書きますから、そんなことは誰でも知っている。でも、だから自分がどうこうするということにはならない。自分の生活だけで精一杯だし、何をやったって無駄だと思う。そんなこと考えるよりも、今はドラッグが欲しい、というのが最優先だったり。

 もちろん、この映画が出てきたのはサッチャー退陣後だけど、みんな覚えてますよ〜そりゃ〜。退陣したからこそ保守系新聞も批判を書くから余計わかりやすい。だからといって社会矛盾は一気に解決しない。サッチャーの暴政による傷跡がしっかり残ってるし、政治的無関心もあいかわらず。

 ケン・ローチは本作の前にスペイン内戦をテーマにして『大地と自由』(『Land and Freedom』)を発表してます。でも時代も場所も遠いもんね〜、一般の人にはピンと来ない方が当たり前。そこでこれをつくったんじゃないかしら。こちらは現代の内戦。そして主人公はどこにでもいる軽薄でお調子者のノーテンキな若者ということになった、と。

 主人公ジョージ(ロバート・カーライル)は、ひょんなことからラテン系の美少女カルラ(オヤンカ・カベサス)に惹かれていく、もちろんスケベ心から、というのは言うまでもない。いろいろ親切にしてみるけど、なんだか暗い影があって自分のことは話したがらず打ち解けない。そこでますます興味を感じてストーカーまがいにつきまとう。ここまではよくある話。

 そのうちにカルラが自分のよく知らないニカラグアから来たということに気づく。ニカラグアの内戦について、知識としては知っている。ラジオくらい聴きますもんね、いくらジョージだって。どうもこの娘の影には、祖国愛と内戦が理由になってるらしい――どんなに無知で鈍感なジョージでも気づくわけです。好きになった娘は自分にはないものを持っている。少なくとも自分には祖国愛なんてないし…。

 ジョージにはフィアンセがいました。でも、フィアンセと結婚しても先は見えてます。どう転んでも新しい展開は望めない。ところが、カルラは自分の知らない世界や価値観も持っている。余計にカルラに惹かれていくのは当然でしょう。おまけに仕事は馘になったからフィアンセとの結婚生活の展望も粉々。だいいち時代は閉塞状況です。

 だから、ジョージがカルラの国に行ってみようと考えるのは自然の成り行きです。いいかげんなヤツ? そう、ジョージはどこの国にもよくいる、いいかげんなヤツですね。ノーテンキで後先考えない。目算も成算もない。だいたい自分のこれからの見通しなんて、もともとない。フィアンセとの結婚も今の自分にとってはトラブルの種。馘になったいきさつフィアンセに話せます?

 ノーテンキなジョージがカルラと一緒にニカラグアに行くのは、そういうわけで、とても自然な展開ですね。おまけに、イギリスとニカラグアではお金の価値が違う、イギリスでは小遣い程度の金額でも、ニカラグアでは悠々と暮らせるお金に化ける。楽観的な気分に拍車がかかりますよ〜そりゃ。というわけでニカラグアへ…。

 そんなジョージもニカラグアに着いて、とても想像できなかった光景を目にすることになります。少なくとも、テレビやラジオ、新聞には絶対載ることのない状況を、です。自国のサッチャーが言っていることが嘘八百だということはイギリスの問題に関してなら知ってた。でも、イギリスや某国は、なんとなく民主主義の国だと思っていたわけですね一応は。そんな甘い自分の幻想が木っ端微塵に壊れていくことになる。サッチャーが友好国だと主張する某国が、公然と不正、無茶苦茶をやっている。「まさか、そんな…」という光景を眼の前で次々と見るわけです。

 サッチャーがヒドい奴だということは分ってる。でもサンディニスタがテロリストだというサッチャーの言い分は、無関心だったせいもあるけれど「そうかもしれない」と思ってた。だって「知らされてなかった」もん。イギリスでそんな主張をするのは、ごくわずかの「左翼」だけ。ジョージはきっと「左翼」が嫌いだったと思うな。エラそうに難しいことばかり言っては正義漢ヅラしてみせ、そのくせ1ミリも政治を変えることなんかできない奴らだもん。(そう、ケン・ローチみたいな人含めて)。

 だから、後半の話では、インテリ左翼を除く公開当時のイギリスには、まだ知らされていなかった事実の暴露が、これでもかというほど出てくることになる。人が虫けらのようにどんどん殺されることなど、ニカラグアに来ない限りジョージには想像もつかなかったことでしょう。その場面を目撃する。しかもカルラたちが狙われるわけです。一緒にいるから自分の命も危ない。マジで怖い!

 ニカラグアでの経験によってジョージは、ニカラグアに自分の居場所がないとわかった。だから決断します。これは、これまでのジョージのような「いいかげん」な決断ではありません。つまりジョージはニカラグアに行くことによって、ちょっぴり成長することができた。生まれて初めて決意するんです、スコットランド人として生きるんだ、と。

 こうしてジョージの世界観は変わるんです。

 いままで、サッチャーの暴政に虐げられたのはイギリスの労働者、失業者だけだと思ってたけれど、実はそうではなくて「サッチャー(とその同調者)に虐げられている人々は――カルラがそうであるように――世界中にいる!」ということは理解できるようになる。

「ノーテンキさは直ってないだろうから、イギリスにノーテンキな左翼が一人増えるじゃないか!」とおっしゃいますか? う〜ん……そうかもしれない(爆)。ま、左翼はどっちみち少数派ですから。できることも限られている。でも親しい人なら話は聞いてくれるでしょう。ジョージはノーテンキでも、悪人ではないことは一目で分るし。

 以上。そういうわけで、イギリスの当時の事情を知らない外国人には、ちょっとわかりにくい映画かもしれないけど、これは仕方がない。外国人にもわかるように作ろうとすれば、『トレインスポッティング』的場面を描かなくちゃならない。それでは長すぎます。イギリス人の若い労働者向けに、等身大の目線で作られたんだと思います。

 少なくともこれを観た人には、サンディニスタは兇悪なテロリストだ、サンディニスタ政権によってニカラグアは「恐怖政治国家」だった、なんてデマは通用しない。ケン・ローチはデマを見事に打ち砕いてくれた、この映画にはそういう意味もあったんです。

 そして、「あらすじ」でも紹介したようにマスコミを痛烈に批判するんですね「デタラメばかり書くな! ちゃんと取材して事実を報道すべきだ、真実を書け!」と、ケン・ローチは激しい怒りをぶちまけるわけです。

 ついでに言えば、サンディニスタ(FSLN)はいまでも健在です、ついこの間選挙で負けたけど。

 あ、そうそう【ビンラディン】の話? それはわたしのあらすじをご覧ください。

【参考文献】

http://kawara-ban.plaza.gaiax.com/97/97082801.html

http://www.shohyo.co.jp/gendai/20-21/1998/199808.html

http://www.parallaxpictures.co.uk/pnote_carla_mk_epic.html

追記蛇足:(2002.01.27) 本稿とあらすじを書き上げた後になって、「作品分析」(『シネ・フロント255』所収)が出てきたので読んでみたらほぼ正確に覚えていたことがわかって自分のことながらちょっと驚きました。というわけで【参考文献】を追加。

『シネ・フロント255』(Jan, 1998, シネフロント社刊)《特集●カルラの歌》:『カルラの歌』とニカラグアの現実=伊藤千尋/作品評=江藤文夫/作品分析=真下圭二/ケン・ローチ監督フィルモグラフィー

追記: 【重要参考文献】追加(020130)

「そして歌いながらの革命」(幻冬舎文庫『危険な歌 - 世紀末の音楽家たちの肖像』→http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30453894八木啓代著、幻冬舎、1998年刊):本作の舞台となったちょうど同じ時期の1987年にニカラグアを訪れていた日本人女性がいます。現在歌手となっている八木啓代さんは、本書の中でニカラグアの首都マナグアで見聞きした体験を綴っています。(八木啓代さんのホームページ→http://homepage1.nifty.com/NOBUYO/)

追記: 【学校がコントラに襲撃された理由】(020207)ブラッドリーがアントニオのことを語るシーンで、学校、次に診療所が襲撃を受けていることを説明している。なぜ学校や診療所が襲撃を受けたのか? 当時、キューバから教師や医師がボランティアとしてニカラグアに来ていた。学校や診療所を襲えば、キューバ人を殺せるからだ。

追記: 【ネタバレ投票をめぐって】(020203)忘れてしまわないうちに書いておかなければ。実は、ミイさまの review にネタバレ投票したのはわたしでした。review本文は短くて、「じゃあ僕は帰るよ、って所で爆笑。」だけなんですが、わたしにはそれ自体がネタに見えました。つまり、その通り「帰るよ」っていうことになるわけだけど、それを知っていたら「どうせ結局本国に帰るんだろ」と思いながら観ちゃうわけ。ところがケン・ローチもそう思ったのかどうか知らないけれど、「帰る」発言をめぐって次のようなエピソードが展開されるんです。

 襲撃事件直後: (ジョージのセリフ)「君にはうそをつかないと約束した、だから正直に言う。僕は帰る。君に一緒に来てほしい。赤ん坊が一緒でもいい。僕は全然、かまわない。アントニオの子?」(上記『シネ・フロント255』などからの引用)

 ここでジョージは「帰る」と言ってしまった。映画の観客は、ジョージが軽薄でお調子者のノーテンキな若者であると知っている。だから、ジョージのこの決意も単に何の見通しもなく、ただ怖いから帰るんだろ? ぐらいにしか思えないのは当然です。ところが、カルラがいざアントニアを訪ねていった先で再会に躊躇しているカルラは突然「わたしを連れて帰って」と言い出すのでしたね。そのカルラに対するジョージの返答は意表をつくものでした。

「ここが君の国だ」

 わたしはこのセリフを忘れることはできません。ここにジョージの確実な変化が表現されている。ジョージは帰国を決意した。最初はカルラと一緒に帰りたいと思ったけれど、その願いを自ら断ち切るのです。そしてジョージはカルラをアントニオのいるブラッドリーの家の前まで連れて行く。家の前で立ち止まったジョージに、カルラは一緒にアントニオに会ってほしいと言います。それに対しジョージは、

「一人で行かなきゃ、さあ」

と励まし、カルラを一人でアントニオに会わせます。ジョージは家の中から聞こえる会話や「カルラの歌」を家の外で聴きます。ジョージはどんな思いで聴いたのでしょう?

 ……このようにしてケン・ローチは、ゆさぶりをかけ、観客はジョージの変貌を目撃する、という仕掛けになっているの。そして、今回のジョージの「決意」は本物だぞ、と示唆したんですね。つまり「じゃあ僕は帰るよ」の結末を知っていたら、観ている人はジョージの変貌の意味を考えないかもしれない、そういう危惧を感じたから「ネタバレ投票」をしたんです。ミイさま、ご理解いただけました?

 ここまで書いてしまうと、ネタバレどころかバレバレなんで書くのを止そうと思ったけれど、ミイさまの「ネタバレなし撤回」に少しでも不本意な点があったら気の毒なので敢えて書いちゃいました。

カルラの歌』→http://britannia.cool.ne.jp/cinema/title/title-ka.html#carla's_song

(評価:★5)

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