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[コメント] お引越し(1993/日)

日常性から彼岸への、跳躍ではなく、地続きの道を歩いて到達することの驚き。終盤で別次元へと「お引越し」したかのように思いそうになるが、そうではないのだ。この終盤ゆえに、それに先立つシークェンス群もより肯定したくなる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず、悪いカットから指摘したい。レンコ(田畑智子)が転校生のサリー(青木秋美)と一緒に歩くシーンだが、レンコと同じく両親が別れているサリーが父の新しい相手の女を観察したときのことを話しながら歩いていった先で、突如、まるで少女たちの涙の代わりのように大雨が降る。そうした分かりやすい暗喩性はまぁいいのだが、肝心の雨の降りようが不自然で、いかにも今、カメラの上から雨降らしを開始しました、といった感であり、ワンカット長回しの演出も、ここでは悪い方に作用したように思えてならない。

だが勿論、全体的には良いカットの方が多い。レンコの風呂場での籠城シーンの後、彼女が開けっ放しのトイレで一人涙しているカットの、レンコを包み込むような空間性や、夕陽の色が、田畑の表情と相俟っての情緒を醸し出す。また、レンコが柵の間から父(中井貴一)に差し出していたキリンのぬいぐるみが、父の座っていた階段の下へと落ちていくのを、仰角で下から捉えたカットの詩情。

終盤のレンコの彷徨シークェンスは、それ全体として素晴らしいので、個々のカットは挙げ難い。これに先立っての、レンコが見知らぬ老人の家で「息子の好物」をご馳走になるシーンには、個別のカットでは最も好きなカットがある。息子さんは今どこに、というレンコの問いに老人が上を指差し、二階かとレンコは言うのだが、老人は「もっと上や」。ここで僕は、レンコの父のお引越しシーンで冒頭、レンコが二階から父に向かって声をかけていたのを思い出す(二階、というか、マンションのベランダにいた父は、なぜか上を向いて娘に声をかけるのであり、その不自然さが却って「二階」という台詞との繋がりを感じさせる)。レンコと父との間には距離が生じてしまったが、二度と会えない距離ではない。レンコ自身もミノル(茂山逸平)に対して、「死んだわけじゃないし、会おうと思えば会える」と言っていなかったか。老人が云う「もっと上」に向かってレンコが叫ぶ「いただきまーっす」。「もっと上」が意味する「死」に敢えて気づかないような声、それでいて、それを了解していなければ発せられないであろう声がさり気なく潜ませる優しさ。

この「いただきまーっす」の、伸びやかで明朗な声の響きは、本作の全てを凝縮して高みへと引き上げる「おめでとうございまーす!」の声を予告している。声の向かう先が縦から水平へという空間性の違いはあるが、共に彼岸へ向けての声だろう。それが水平へと移ることで、レンコが「未来」へと向かって歩んでいくエンドロールへと繋がっていく。

レンコが籠城した風呂場の戸のガラスを拳で破って侵入する、桜田淳子の血まみれの手。その、思いつめ、爆発した感情の化身としての腕が、凶暴な蛇のように暴れまわる。『シャイニング』のジャック・ニコルソンなど、思い出すのもバカらしく思えるくらいに怖いシーン。この思いつめ方の激しさが地だから例の教会に走ったのだろうかなどと余計なことまで考えさせられてしまう。最初は何てことのない母親に見えた彼女は、娘との間の「憲法」とやらを掲げた辺りで些か鬱陶しい人物と化していくのだが、夫との険悪さが表面化していくにつれて怖さを加えていく。祭りのさなかにレンコを見つけた母が橋のうえから娘に謝るシーンでさえ、その必死さがどこか怖い。

だからこそ、レンコの彷徨の後に湖の畔で再び母が現れたときの、それまでのシークェンスの超絶性から一気に日常に引き戻す普通さには、あの素晴らしいシークェンスの終了を残念に思うのと同時に、個と個として母と向かい合ったレンコが、父を失いながらも「日常」へと回帰したこと、つまりは自身の孤独を生の条件として受け入れたことを実感させる。湖に、幻想の父母は沈んでいった。レンコは、とり残された自身の分身を抱きしめていた。それまでに、炎や森や川や月明かりのなかを独りで進んでいった少女には、自分の足で歩むという力があるのだと、観客は信じることが出来るだろう。エンドロールが、レンコが様々な見知らぬ人たちと言葉を交わしながらひたすら歩んでいくカットであるのも必然だ。両親も自身も、孤独な一個の人間でしかないことを理解した彼女は、そのことで、より他者へと開かれた道を歩むことにもなるのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] [*] けにろん[*]

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