[コメント] ベルリン・天使の詩(1987/独=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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天使を様々な事柄、人、モノに例えられるように作られているが、私は強引かもしれないがこう思う。
《1987年、ベルリンの壁健在、悲劇の峠を歩んでいた》
《1989年11月9日東ドイツで社会主義統一党が国民に出国の自由化を決めた》
天使という存在は色々な身近な「何か」から大きな「何か」まで置き換える事が出来る事は間違いない。天使は飛び降りる人間を特等席で見ることは出来ても助けられない、隣国で自由を求めているのにその隣国の住人らは何も出来ることはない。天使はそっと手をある人間の肩にのせるがそれ以上は何も出来ない、隣国の肩に手をそっとおこうとしても手を握ろうとしてもそれが果たせない。天使は子供に見えオトナには見えないよになっていた、隣国の子供はその隣国を見ることが出来たが隣国の子供の親は魅せないよう勤めた。
天使というのは西ドイツ住人であり冷戦終結を願う人々の象徴だったのではないだろうか。天使が「見る」だけの毎日の行為から降りて自分の足と手で絶対にいる理想のパートナー探しをしたように、西側諸国の人間も「見てるだけ」から積極的に、ある時は正面から車で入り帰りに隠して東ドイツ住民の出国を助けたり東ドイツ住人のハンガリー経由からの出国に手を差し伸べたりする事を選んだ。その姿はまさに天使=西ドイツ住人らを現している。
女は潰れかけのサーカス団に入って空中ブランコで御飯を食べていたが、サーカス団は解散する事になった、つまり制度疲労の末期だった閉鎖社会主義というサーカス団が崩壊する近い将来を皮肉り彼女を東ドイツ住人として現したのではないだろうか。
で、彼女は天使の男と新しい生活と新しい職場に移るのだが、移った先は今までのサーカス団よりかワンステップ以上の所だった。それは社会主義の下の民主主義の限界と資本主義の下の民主主義の奥深さを物語っているのかもしれない。誰にでも成功のチャンスが与えられるという資本主義下の民主主義を意味し天使だった男が彼女の才能をバックアップ、良きパートナーとして出発するのもまた社会主義下の民主主義にはない展開だというのを示しているように見える。
ラスト、乗船完了というのはきっと両国の統合と再生の船出を意味し、その航海が美しいものだと示している。が、統合後の今の現実問題で言えば順調じゃなし天国のようではない事を予見してかヴェンダースは航海に男女を乗せて、海の天候はもとより男女の仲のように天気の移り変わりが激しい事も暗示しているようにも見える。
計算して構成したヴェンダースは凄い。
2002/7/16
※コロンボの設定を考えれば、天使を東からの出国者としても見られるのでその観点からいくと、大きく内容が変わるが私はここでは天使を西側としてみただけです。…コロンボ、彼を考えれば彼女を西とし天使を東として考えて、ドイツにこだわらず冷戦下の世界という枠組みで考えた方が正しかったかもしれない。どちらにせよ見る者に幾通りの答えを心に残す映画は大作だ。
(追記)
※白黒から多色に変わったのは西ドイツの人々の意志が鮮明になったこと、曖昧な考えが強い意志と変貌を遂げた姿を示しているのかもしれない。…これに関してもこの以外にも色々な解釈が出来るとは奥が深い。長くなっていくばかり(笑)
2002/7/17
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