[コメント] スター・トレック(1979/米)
戦闘シーンのないSF映画に制作費100億円(当時)。『スターウォーズ』みたいなのを期待してたら、『2001年宇宙の旅』の亜流みたいなストーリー・・・その後の評判は良くなかったと思う。皮肉な話だが、紆余曲折のあったスタトレの映画化にゴーサインが出たのは、「SW」の大ヒットのおかげなのは明らかだ。 でもSW以前のSF映画は戦闘シーンを重要視していなかった(技術的にできなかったという側面もある)。この映画のスタッフの頭にあったのは純粋にセンス・オブ・ワンダーの世界だった。平たく言えば、宇宙にはこんなにスゲーものがある、不思議でワクワクするようなことがある・・・そういうものを観客にお見せしてびっくりしてもらいたい、という何とも素朴な発想だったのだと思う。で、観客もそれで満足していたんだと思う。しかしSW以後はそれだけじゃダメで、もっと積極的に、性急に楽しませなくちゃならなくなった(SWがダメダということではないんですが)。
今回デイレクターズエデイション版DVDで観ましたが、久々にSF映画らしい映画を観たという感慨が大きい。確かに今でも良い映画はありますが、宇宙を舞台にしてこれだけ豪勢な感じを出してる映画は見当たらなくなった。いまどき「序曲」があって、どうぞこれからゆったりと楽しんでください、という雰囲気も贅沢。
次々と繰り出される特撮は一見地味なんだが、ダグラス・トランブル、ジョン・ダイクストラ、シド・ミードなどの大物が寄り集まって、それぞれが信じられないような手間がかかっている。光子魚雷一個撮影するにも、放電を表現するのにわざわざ150万ボルトのテスラコイル(天才物理学者ニコラ・テスラの名を冠した放電装置)を作って放電を撮影した(これだけで2週間かかったそうだ。そりゃ金も時間もかかるわな)。 演出では、何と言っても衛星軌道上の格納庫に収まっているエンタープライズ号を延々と、舐めるように見せるシーンが圧巻。これはカーク船長の視点で捉えているが、ファンの見たい視点でもあろう。ここで動く小型連絡船の窓からカークとスコットが乗っているのが見える、「2001年宇宙の旅」以来の離れ業(当時)を敢行。 人物では、カークの人格の歪さに触れているのが興味深い。理想的な上司像といわれているカークは、ここでは若手を追い落とそうとするいやな奴である。スポックは自分自身のあり方に疑問を感じる。デッカーと元祖スキン頭(『少林サッカー』を参照)のアイリアとの関係、など人物描写に深みを与えようとしている。これらの登場人物の葛藤が、完全無欠の生物、ヴィージャーとの対比で語られるという演出である。ほとんど全能であるにもかかわらず、ヴィージャーは心が満たされない、完全であるとは、不完全であるという逆説、では人間は?という問いかけ。 そしてこの映画に戦闘はなく、人は知力と愛の力で難関を克服する。特撮は迫力、というより美しく優雅であろうと撮られている。前時代の映画といえばそうだが、もっと評価されても良いんじゃないかと思う。 優雅といえば、ジェリー・ゴールドスミスの音楽はホントにすばらしいものです。ロバート・ワイズ監督は最初に作られた音楽が気に入らず、書きなおしを命じたそうだが(最初の音楽が特典に入っているが、確かにパっとしない)書き直して良かった〜と心底思った。それにしてもワイズ監督(1914年生まれ)がこれほどの特撮魂の持ち主とは、知らなかった。この調子で『アンドロメダ・・・』のディレクターズエディションもお願いします!
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