[コメント] 奇跡の丘(1964/伊)
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顔アップの連鎖で撮られた作品。なんでキリストは両の眉毛が繋がっているのだろうという素朴な疑問はともかく(鬚を生やしていないのはリアリズムで、権威付けに鬚が描かれるのは4〜6世紀以降とのこと)、求心力のある肖像画が並べられ、見飽きることがない。冒頭のマリア(マルゲリータ・カルーソウ)の蓮っ葉な佇まいがまず意外で引き込まれるし、マリア後年のスザンナ・パゾリーニのお婆さんがまた麗しい。その他、西洋絵画から抜け出してきたような深みのある顔のオンパレード。ハンセン氏病の治癒の件で頂点を迎える。
その顔連鎖の間を縫って、抜群のアクションが繰り広げられる。キリストが湖歩くトリッキーもいいし、可愛いサロメ(パオラ・テデスコ)がやけに現代的なダンスを踊った後「ヨハネの首を」と唸る件は余りの落差に慄然とさせられる。ユダ(オテッロ・セスティリ)の首吊りの即物感も物凄い。素人俳優が殆どらしいが、きっちり演技をしているのがブレッソンと違うところ。
音楽はバッハのマタイ受難曲が反復される一方、「Sometimes I Feel Like A Motherless Child」(処女懐胎の件)ほか主要な場面で黒人霊歌が流され、ここには確固たる主張がある。現代的な視点からはむしろ正統だろう。
私は田川健三氏の「イエスという男」という本が好きで、ここではイエスは神の子では全然なくて、ただ徹底して皮肉な被支配層の反抗者として描かれている(「権力者共がやって来て、なぐりやがったら、面のあっち側も向けてやれ。しょうがねえんだよな」)。このような人間イエスの研究は先進地イタリアでも盛んだっただろう。そのような描き方のほうがパゾリーニらしいのにとも思う。
しかし、律法学者にゲバルトかけるキリスト、アジールそのものである原始教団の佇まいはマルキスト(貧乏人革命者)・パゾリーニの思いと外れる処はなかっただろう。あんたたちと俺たちはそんなに違わないんだぜ、というキリスト教団へ向けてのやや捻くれたメッセージと見ると実に興味深い。実際、両者は本質の処でそんなに違わないのだと思う。この感想を惹起させるのが本作の全てだろう。
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