[コメント] 津軽じょんがら節(1973/日)
■斎藤耕一監督を偲んで(2009年12月4日追記)
先月の28日、映画監督の斎藤耕一が亡くなった。80歳だったそうだ。この10年ぐらいだろうかフィルムコミッションの充実もあり、スタジオを飛び出し地方を舞台にロケーションを行なう日本映画が増えたような気がする。斎藤監督もロケ作品において奇跡的な冴えを見せた人だった。『約束』(72)、『旅の重さ』(72)、「津軽じょんがら節」(73)を、私はひそかに斎藤耕一の地方三部作と呼んでいる。
この三作品では、風景が単なる物語の背景として止まることなく、あたかも「生命」を宿し登場人物たちに絡みつかのように機能していた。写し撮られたこれらの風景には、撮影監督の坂本典隆と組んだ斎藤耕一によって、登場人物たちの心や境遇までもが焼き込まれ、まるで生き物のようにスクリーンのなかでのたうっていた。
「約束」のなかで吹き荒れた続けた日本海の寒風と吹雪は、「女囚と逃走犯の恋」の運命そのものであった。「旅の重さ」をつつんでいた、まばゆい夏の光線と容赦なく照りつける日差し、そして藍々と茂った草木の葉を渡る風は、四国を旅する少女の前に立ちはだかる彼女の心の壁の化身でもあった。「津軽じょんがら節」では、都会を追われたチンピラと年上の情婦は最果ての地でどん詰まり、津軽のどんよりと垂れこめた暗雲と荒れ狂う海は、まさに彼らの行く道を、盲目の少女とともに閉ざしていた。
三十本あまりの監督作を残した斎藤耕一だが、残念ながらこの三作以外に奇跡は起こせなっかた。いや斎藤作品に限ったことではない。この三部作以来、日本の自然と風景をここまで内象的に映した撮った作品に出合ったことがない。72年と73年の二年の間ではあったが、斎藤耕一は奇跡を起こしたという事実において、日本映画史に永遠に名を留めるべき偉才なのだ。
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