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[コメント] フェノミナン(1996/米)

この作品が損をしているのは、主演がジョン・トラボルタであることと、エリック・クラプトンの曲が一人歩きしていたこと。→(大いなるネタバレ)
BRAVO30000W!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







普段ならこのテの映画に5点もつけないのだが、今回は敢えて5点をつける。

公開当時は日本ではインターネットもまだ限られた人の間でしか流行っておらず、映画の風評や印象はごく限られたメディアか、映画好きの友人などからしか事前情報なり映画の感想なりを知ることができなかった。

配給元にせよ製作側にせよ客は呼びたいから当時既に第二次ブレイクしていたトラボルタを使ったり、ギターの神様扱いされているクラプトンなどを呼び水にして、この作品を一人でも多く見せたかったのだとは思う。

そこに起こる齟齬として、このサイトの多くの方々にも見られるように「トラボルタ目当て」「クラプトン目当て」で観てしまうと、場合によっては作品の本質からズレた評価が下されてしまうという現象が生じる。

実は製作者側はスタッフ・キャストにいたるまでとても丁寧で、観る側の間口も広く内容もとっつきやすくわかりやすいように作っている。これもまた「映画通」や「ファンジン」などからすれば小馬鹿にされたと思う人を作りかねない。つまりは、わかりやすいからこそ見逃してしまう点が多々生じてしまうのだ。

話は前後してしまうが、確かに“泣かせ”の演出心は多少はあるかもしれない。しかしこの物語は劇中でも語られるように「自分はどのように死にたいか」ということと、大樹の話からもくる「共生」がキーテーマになっており、「共生」を軽視している酒場の常連などや、コミューンと共生を混同している人間(果樹園の事件直後ひそひそ話をしている連中)と、本質的に共生を望む主人公の違いを見せ、最後には息を引き取ってしまうものの、りんごの味と同じように多くの人たちの心に残ることをしてきた主人公の生きざまを見せ、現代社会における一つの理想的なライフスタイルモデルを観客側に提案しているのだと私は思う。

このような堅苦しい表現をすると数行に及ぶ説明になってしまうようなものを、如何に敷き居の低い“お話”にするのが大変か、また如何にそれを実現させていることが素晴らしいことか。

人間の可能性という言葉が劇中に多く見られるが、そのキーワードはエリック・クラプトンの歌の歌詞にもあらわれている。ジョン・トラボルタも非常に自然な立ち振る舞いをこなしている。これもまた共生(コラボレーション)なのだ。

B級SF的なイントロも、後になると面白い形に化ける。これは多くの作品が年々氾濫すればするほど命取りになりかねない演出で、おそらく現時点(2001年)では封切り当時以上に評価を下げてしまいかねないと思う。私自身も今の内に観ておいて良かったと正直思う。

また、上記の流れからは蛇足になってしまうが、髪を切り髭を剃るシーンは印象的だった。このようなシチュエーションを用いて二人の距離感を説明するというのはとても効果的だと思った。私にしか効果はないのかもしれないけれど。意外とこういうのってありそうで少ないなと思ったり。

リアルな物語に感慨を受けたり感銘を受けたりする人たちには、確かに陳腐な素材に溢れているように見えるかもしれない。所詮は2時間前後の枠の中での物語だ。リアルを求めることを止めはしないが、まぁ、気に食わない人はクラプトンのアルバムだけ聴いていれば良いだろう。

(評価:★5)

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