[コメント] Z(1969/仏=アルジェリア)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画は私が5をつけている映画の中でも特に思い入れの強いもの。故に細部までしっかり覚えてしまっている。軽く20回は観ているだろう。
#コスタ・ガブラス監督作品の後の『戒厳令』『告白』とともに一くくりにされているが確かにそのとおりだ。Zよりは落ちているとは思うが3作品に共通しているのはある種のテクニックである。つまりZでいうと例えば連続して人から供述を取る場面、怪我をしたニス職人への見舞いの場面、又あるいは最後の大物4人を告発する場面、新聞記者がデュマと共に容疑者の写真を隠し撮りしている場面がある。同じ要素を連続て繰り返す事で作品に1つの場を作り、これがテンポの良い1つの原因になっている。このテクは戒厳令でも多用されている。残念ながら上記3作品以後はテクニックが落ちている感が否めず、他の映画と境界線がなくなってしまっている。
テーマが比較的堅いににもかかわらず難解な作品になっていないのは、舞台が抽象化されているためである。つまり背景や政治的なことを知らなくても作品の流れの中で十分内容が理解できるのである。この観客を映画に引き込む要因はテンポのよさが挙げられるが、それは各ショットが非常に短いためである。パッパッと変わっていく画面は作品に強いスピードを与えている。あまりにも画面の切り替えが速過ぎてジャンプカットになっている部分さえ存在する。恐らく映画史上屈指のショット数の多さだろう。
性格描写はやや薄いが、例えば憲兵隊長がユダヤ人差別思想を持っていて悪玉的なイメージを強めている。逆に無花果売りは前半は暴れるのみだったが、後半小鳥を愛するという人間的な描写がされている。常に冷静沈着な予審判事とすぐに興奮してしまう憲兵隊長の対比も見事である。
回想のシーンも程よく織り合わされていて作品に深みを持たせている。モンタンもエレーヌもふとしたきっかけから過去を思い出しているところが興味深い。事件とは殆ど関係ないエレーヌの存在は主人公モンタンの印象を強め、他の登場人物と差をつけるためだろう。(私生活が描写されているのは彼だけだ。)
クロースアップのやり方も巧い。カット数の多さに引けを取らず、テンポのよさに貢献している。ここで使用されている素早いクロースアップは重要点を選択して提示する効果を発揮している。頻度もほどほど。カメラワークで巧いと思った場面はモンタンが演説の前に殴られた後階段を上るところだろうか。これは主観カメラになっていた。
以上のようなテクニックを監督はかなり徹底して行っているため、他の映画とは明らかに異なった出来になっている。
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なーんて堅いことはもうおしまい。何といってもトランティニャンがかっこいいっ!他の映画では大してよいとも思わないのに、Zでは後半はもう彼の独壇場だ。最高!取り調べている場面のクールさといったらない。モンタンも存在自体が良かった。殺されても最後まで存在感が失われていなかったしやっぱり主役だ。他にもかなりマニアックな脇役も顔をこの作品で覚えたので(フランソワ・ペリエ、シャルル・デネ、ベルナール・フレッソン、ジャック・ペランなど)他の作品に出てきても誰だかわかるようになった。
ラストを除いて最も好きな場面はモンタンが最初に飛行機から登場するシーン。あと容疑者を一網打尽にするところはスカッとする。笑えたのはラスト近くで憲兵隊長が自分が操ったヤゴ・バゴと同じ表現(虎のように敏捷な云々)を使ってしまい、無言の予審判事とタイプの音に不安な顔になってしまうところ。っていうか憲兵隊長はバカだろ・・・。
そして何よりも素晴らしいのが音楽。特にオープニングテーマとエンディングテーマはとってもかっこいい。携帯の着メロにしたいぐらいだ。私の中では映画音楽ナンバーワン級の地位にある。サントラが売られていないのが悲しい・・・。
そしてラスト。後日談的に語られるエピソードがこの映画の一筋縄ではないところだ。検事代理は予審判事を止められなかった責任で心臓発作に仕立て上げられてしまった!たぶんニス職人やデュマも殺されたんだろうな。他にも死にまくってる。決してハッピーエンドではないのに、かといって後味の悪さも残さない引き締まった終わり方。ラストのショットでZの文字がビシッッッッとでてくると毎回充実感を持って観終わる事ができる。傑作だ。
追記1:CDショップへ行ってサントラのコーナーを見るとあるわあるわ、最近の映画の殆どがサントラも発売されているといっても過言ではない。だったら『Z』も売ってくれい。
追記2:イレーネ・パパスはギリシャの女優だそうです。だからなんだと言われても困りますが、やはりギリシャを暗示しているのだろう。ほんとに怖い顔です。ギリシャといえば、作品中ギリシャ文字が使われていたり、色々暗示的なものがあるようです。
追記3:この映画の客観性とジャーナリズム性について→政府側は悪玉の属性を持つが、だからといってモンタン側が善であるとは明示されていない。全体的な作品の流れをみるとどうしてもモンタン側が「いいやつ」に捉えられてしまいそうだが、どこにも根拠はない。
以上の理由も含め非常に客観的な視点から作られていると思う。登場人物の行動は政治的なもののみに限定されているのだ。例えば誰かが悲しんだり、喜んだりが原因で何かをするシーンは非常に少ない。トランティニャンは代表的な例でありその点で「Z」を象徴するキャラクターだ。そして唯一の例外、存在そのものが主観的とも形容できるエレーヌはトランティニャンの対極に位置するであろう。
客観性と関連してジャーナリズム性が挙げられる。「Z」はジャーナリスティックな作品でもあると思う。ジャーナリズムが絶対に客観的であるかの議論は置いておく。新聞記者の作品、事件への貢献度や重要性があるし、タイプライターの音が頻繁に聞こえてくる点は「報道」を予感させる。それにラストはニュースそのものずばりで、非常に象徴的である。
追記4;久しぶりに再見したが、やっぱり面白かった。「完璧」の領域にかなり近い作品だと思う。オープニングのかっこよさも特筆もの。モンタンが殺されるシーンのデモ隊の描写のエネルギッシュさといったら!時代的な(69年)タイミングから、当時の観客はどんな反応を示したのだろう?私が、かなり回数を観ているためもあるがこの作品は本当にディティールまでしっかりと作られている。観るたびに新しい発見がある。
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