[コメント] 招かれざる客(1967/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ジョーイの父マットはリベラリストであるにもかかわらず、新聞社経営という長年社主君臨していた為に健全な思考が「欲」という動脈硬化によって徐々に世間体というのに縛られてしまっていた。そして自分自身に自覚症状が出ずに日常を過ごしていたところに黒人医師ジョンの登場である。ジョンは全てにおいて健全であり優秀であり志し高き非の打ち所がない好青年であった。
が、ジョーイの両親は娘の考えを否定し、自分達でも理解できない理由と言葉に出来ない理由で反対する。
結局、ラストでは案の定二人の結婚を許すのだが、それはマットがアイスを食べた瞬間に全てが答えが決まったと私は思う。あの店で頼んで持ってきてもらったアイスが来て、一口目を食べると、前に食べたアイスじゃないから違和感を感じる味がドッと瞬時に口の中に広がり一瞬残念がり自分に腹が立ったりしたが、意外に美味しかった。「意外に美味しかった」と言うよりもマットは「アイスが物凄く好きだった」(作中でも強調されている)ので最初から好きで食べられたのだと言った方が正しいかもしれない。同時に、この時彼は「人間が好きだ」という自分の原点に帰れた瞬間だったのだろう。
(実は上記以外でも立証できる。それは「アイス」=「甘い象徴」とするならば、「アイスを食べると口が甘くなる」→sweet=「優しくなった」となり、考えが変わった又は元に戻ったことを表現していると、ちょっと強引だが言える。アメリカンジョークみたいだが、こっちの方が綺麗に出るから実はこれこそが正しいのかも。)
スタンリーク・クレイマー監督の凄いところは「無意識の偽善と仮面善良市民」と「問題解決の糸口」を完璧に理解しているのをサラリと描ききったところ。彼は、マットに矛盾した行動をとらせる事によって、今(当時)の歪な社会に暮らす白人に、自分たちのしている事がいかに馬鹿げているかを示し現状を再認識させる。そして示すだけではなく「相手のことを正確に知る」つまり相互理解をする事、物事を乗り越えられるアイデアを常時出せれるように柔軟性を持つことが問題解決の大事な一歩だと言う事を、映画の中でシミュレーションして見せたのだ。
アメリカというパソコンに搭載されていたOSの差別というバグをスタンリー・クレイマーという名プログラマーが手直ししてたと言っても過言ではないだろう。
2002/8/16
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