[コメント] ガントレット(1977/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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"At least someone'll know I tried."
"Who? Blakelock?"
"No, me."
市内にバスで乗り込む前のモーテルでのこの会話。カナダかメキシコにでも逃げよう、よその警察署に保護を求めよう、という女に対し、クリント・イーストウッドは「君はそうしろ」と言いながら、自分は悪徳署長ブレイクロックの待つ署に正面から乗り込むと宣言する。なぜそこまで意地を張らなければいけないのか。「どうして俺がこの仕事に選ばれたのか、俺たち二人とも知っている。奴が間違っていたことを証明するんだ(We both know why Blakelock picked me for this job. I'm gonna prove he's wrong.)」
このイーストウッドは、この仕事を成し遂げられない男、死んでも問題にならない男、と自分がみなされたそのことにこだわっている。すべてを法廷の下で明らかにするためでも、悪党を牢屋に送るためでもなく、命を狙われた女のためですらもなく、ただ自分に対して下された納得の行かない評価に異を唱えるためだけに、最初に指定されたその署に戻って見せる、というのだ。少なくとも、それを試みたと俺自身が知る必要がある、というのだ。正面から闘い抜くことを諦めて、そういう扱いを受けてもいい人間だ、と自分までが認めてしまえば、たとえ生き延びたとしても、相手をのさばらせたまま、自分が屈したことになる。それを許せないのである。
全体として見れば、当然の佳作であっても、傑出した作品ではないが、それだけにかえって、イーストウッドの確固とした作家性がうかがえる。ほとんど意味をなさない地点すれすれのこの孤立無援の闘いは、今日から見れば、「女め」という舌打ちに対して毅然と闘い抜く『チェンジリング』の主題をいっそう引き立たせるだろうし、あるいは、もはや法の彼岸で決着をつける二人を前にして、それを助けることも妨げることもなく立ち尽くし、その去る姿をただ見送る警官隊の光景に、『許されざる者』にも通ずるラディカル(根底的)な秩序像を読み取っても大げさではないはずだ。
バスジャックの場面。ソンドラ・ロックが「たいへんご不便おかけすること心よりお詫びします・・・」と拳銃片手にスチュワーデス口調を繰り広げたあと、「とっとと立ちやがれ!!」と叫ぶ瞬間、ありえないほど口が開く(あやうく『キャプテン・スーパーマーケット』のブルース・キャンベルにでもなりそうなほど)。かわいい。拳銃を向けられて「これはバスだぞ」と至極真っ当に憤慨する運転手、「ニュースで見たのとおんなじだわ」とはしゃぎ、「グッドラック!」とハンカチを振る老婦人、丸腰のイーストウッドに脅されるでもなく従って補強作業を手伝う男たち、それを見守る人々、といったこの牧歌的ハイジャックが、それまでの逃走劇とはまた異質な終盤の緊迫感への移行の合間に挟まれるのが、おもしろい。
ところで、ドンくさい私は初見時には気づかずに見終えていたが、終盤で隠蔽に加担する地方検事、オープニングに登場していたのか。「相変わらずヒトラーも有罪にできないような無能な奴さ」とイーストウッドの相棒から酷い言われようだが、そんな当てにならない野郎に頼るなよ。
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