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[コメント] トゥルーマン・ショー(1998/米)

築かれた虚構世界がスカスカであるゆえに成立しえた話であるが、そこにこの作品の限界もある。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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考えれば考えるほどよく分からない映画。「何も知らない奴をみんなで騙して楽しむ話」が途中から、「嫌がる奴を無理矢理閉じ込めようとする話」に変わってしまった。前者も後者もグロテスクな話で甲乙つけ難いが、前者から後者に変わってそのまま続く話がもっともグロテスクだ。だから実際のところ、最後に出てきたクリストフ(エド・ハリス)がもっともらしい演説をぶち、トゥルーマン(ジム・キャリー)を引き止めようとしていたけれど、あの場面で中に残るという選択肢はありえなかったと思う。

ただ、映画を成立させる枠組を越えて、監督あるいは脚本家が、自ら創造した虚構世界を否定するにあたり、人知を超えた何か大きな力みたいなものではなく、主人公の意志に委ねたスタンスには、好感を持った。その点で、あのとってつけたようなラストの演説も、ゆえ無しとはしない。

だが逆説的に言えば、築かれた虚構世界がスカスカであったからこそ、成立しえた話であったようにも思える。

それを意図的にやっていたのでは?と思わせるのは、彼の妻(ローラ・リネイ)が突然始める商品広告で(これはチャップリンが『ニューヨークの王様』で見せたメディア風刺の焼き直しだ)、少なくとも今のメディアはもう少し巧妙にわれわれ(視聴者)を騙すよね。

いずれにしても(意図的にせよ無意識的にせよ)、仮に彼ら(監督や脚本家)が一分の隙もない完全な虚構世界、塵芥にまみれた現実世界の平均より数倍も甘美でとろけるような虚構世界を築き上げたとして、それでも自分たちの産み出したキャラクター(主人公)をその世界から解放してやることができただろうか、と疑問に思う。その場合はやはり、主人公を虚構世界に閉じ込めてしまったのではなかろうか。それでも自分たちが造りあげた魅惑的世界を、否定することができたであろうか。

彼らはそれをしなかったが、それができて初めて、(彼らが設定した)この映画の主題は達成されるように思う。なぜならわれわれは、いくら映画に描かれる美しい世界を好きであるといっても、過酷な現実世界が一瞬見せる輝きのほうが、はるかに美しいことを知っているはずだから。

今のところ、彼らは言わば、脱獄させることを前提とした牢獄を作り出してしまったように見える。その背後にある、「人間性への全幅の信頼感」に対しては、最大限に評価したいけれど。

(評価:★4)

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