[コメント] 夏時間の大人たち(1997/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
クラス担任の体育教師が執拗に言う。「壁を乗り越えられない奴は将来ぶつかる人生の壁も越えられない」「学校のルールを守れない奴は社会のルールも守れない」。映画内では一見お題目でしかない発言にも見えるこれらの言葉は、実は決して空虚なものではない。現実において我々が今さら口にするまでもないというだけの話で、人生には常にその大原則が深く静かに横たわっている。これはマラソンの授業を「手を怪我しました」と言って見学し、数々の習い事をサボり、受かる学校を選んで受験してきた僕だからこそハッキリ言える。「逃げ癖」って本当に身に付く。
主人公の父はこの逃げ癖を払拭できぬまま大人になってしまった人であり、だからこそより「引き蘢ること」でイジメられている女子高生を救おうとする。また同時に救われようとする。そして母はヘビ女の恐怖を乗り越えて、自らの母を愛するために雨に当たることを選んだ人であり、だからこそカラオケボックスの窓を叩き割り、父を殴打して事態の解決を図ることができる。ここには明確に「殴る側」と「殴られる側」の立ち位置の違いが示されている。主人公が逆上がりを前にぶつかる壁は、正にこの壁だ。
ただ不思議なもので、今作は決して「乗り越えることが良し」で「逃げることが悪し」とは描いていない。だからこそ父と母は共に同じ人生を歩んでいるわけだし、イジメを乗り越えた女子高生はイジメる側に回るわけだし、クラスメイトは買い食いをやめないわけだ。人生でぶつかる問題には様々な解決法がある。乗り越えたから美とは限らないし、乗り越えなかったから負けとも限らない。それでも人生は進み、また新たな問題が発生する。例えば親戚がヘアヌードになるような。そして雑誌を買い漁ることで問題を乗り越えようとあがく人の前に、巨大な看板が嘲笑うかのように立ちふさがる。
だからこそ教師の言葉は真理であると同時に子供騙しになる。たかが逆上がりですら、出来たと思ったら出来なくなったり、出来ないと思ったらサラリと出来たりする。それが出来たからエラいわけでもないことは充分知っているのに、何故かそれをあげつらわれて罵られたりする。ただそれでも子供たちには、子供のうちだけでもせめて乗り越えることを覚えていて欲しい。そして自分が好きな人が壁を乗り越えたということの喜びを知っていて欲しい。
そんな気持ちを大人たちに抱かせるということは、そのまま大人に「乗り越えること」の価値を再確認させているということなんだろう。今作において、人生における明確な回答は何一つ示されない。だけどだからこそ前向きに明るい気分にさせてくれる作品だと思う。大事なのは結果ではなく過程だ。乗り越えようと思う気持ちだ。
監督中島哲也が後に『下妻物語』『嫌われ松子の一生』で見せるガチャガチャとした視覚効果の数々、それらが非常に遠慮がちに顔を出すことで、本来この人の持つポジティブなテーマ性と穏やかな空気が強調されている。70分という短時間にキレイにキレイにまとめられた佳作だったと思う。
ちなみに「クラス全員が体育座りの中、逆上がりができない5人だけが立たされている」というシーン。あそこで主人公が恋する女の子も当然立たされているわけなんだけど、その時はまだセリフもアップもないクセに「もじっ」とした羞恥のポーズが異様にイヤらしかった。画面の端っこでビンビンに目立っていた。あれはちょっとした羞恥プレイショーだ。多分わざとだと思う。ちょっとビビった。
(評価:)
投票
| このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。