[コメント] 野のユリ(1963/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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のらりくらりと穏やかな院長さん。そんな彼女の「私たちは6000キロの道のりをやってきたのよ!」祈るだけしかできなかった人が、祈るだけでここまで来たのか、と院長さんの前向き思考と信仰の強さ(似たようなもんか)に圧倒された。
手紙を教会団体に書くことと祈ることぐらいしかしない院長さん。手紙を書くこともカミサマへのお祈りに近いものかもしれない。徹底的に「自分とカミサマ」のあいだにのみ関心をおく彼女。「この人は私たちへの使徒です」とかおだてちゃって、実際は雑用係みたいに扱ってきた院長。「タダ働きさせる気だぜ」と街の人たちに言われちゃうような院長。
そんな周りを見下してると言っちゃ言い過ぎかもしれないけれど、お高く留まっていた彼女が、ラスト、はっと口を押さえたところ、
「(本物だったのかしら?)」
これからあの教会にはいろんな人が来るだろう。そして彼女たちはあの教会を通じてアメリカに馴染んでいくだろう。自分たちのことで精一杯だった彼女たちは、教会とそこでやるべき仕事を得て満足し、次は周りにも目を向けることになるだろう。教会や教会団体以外にいた優しいカミサマの使い。カミサマは教会以外にもいるらしいと気付いた院長は、これから周りの人たちに今までより気を配るかもしれない。
すべてが動き始めるきっかけを作ってくれた人、彼女の中で、お人好しのホメール・シュミットはいつまでも天使だろうな、と思う。でも、何でもお祈りで解決すると思わないようにね。結構傲慢だよ、それは。
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