[コメント] 自転車泥棒(1948/伊)
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ネオ・レアリスモの名を世に知らしめた記念碑的作品であるこの映画。そのリアルさは痛烈すぎて、観ていて居た堪れないほどだ。
もちろん、1948年、終戦直後のイタリアと、消費社会の現代とでは全然状況は違う。この映画のリアルさはおそらく、戦後のイタリアでないと出せないものだったに違いない。それは小津安二郎の映画が、敗戦後の日本でないと表現できなかったことを描いていたのに似ている気がする。
それでも、今観ても、この映画がリアルで、痛烈で、痛々しさを僕らに突きつけるのは、似たような状況に誰もがなりえるからなのだろう…。
僕自身、深夜に捨てられてた自転車を盗んで走らせた青春時代の思い出もある。公共の自転車置き場で、何台も自転車があるのに、僕の自転車のサドルが盗まれていて、どうしようもない状況になって別の自転車のサドルを盗んだ同じく青春時代の思い出もある。
それは、たまたま誰に見つかることもなかっただけなのだ。盗まれたから盗んだ、という理由は通じないということが、この映画のラストでは痛切に迫ってくる。そこでさらに迫ってくるのは主人公の自転車を盗んだ男にも、どうしようもない理由があったという可能性。この“負の連鎖”があまりにリアルなのだ。自分もやったサドルの盗難は、まさにこの連鎖で、どこかで誰かが罪として痛い目にあっているに違いない。それを考えるだけで痛々しい。
そして、どうしようもない状況で、結局批判的であった占いや神に頼るということ。これがリアルさをさらに突きつける…。
それにしても、自転車ひとつでこれだけ考えさせる作品を作ったデ・シーカには感服。自転車を中心にした演出が序盤からかなり冴えていたことは言うまでもない(自転車を持っているときと、盗まれたあとの映像や心理描写のコントラスト。これは見事としか言えない)。中盤の犯人探しの過程でやや中だるみを感じるので、60分にまとめたらさらに痛切だった感じもするが、これは間違いなく傑作と言っていい映画である。
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