[コメント] ヤマトタケル(1994/日)
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大河原孝夫という、自分とはもっとも相性の悪い特撮映画監督にちょっとでも期待したのが間違いだったのだ。
まず時代劇ではなく、これはファンタジーである、ということをここまで嘗めきったところに胸糞が悪くなる。大和朝廷、熊襲の軍勢、いくつかの社のほかに人はなく、田畑も牧場もありはしない。社の周りは禿山ばかりだ。ここで、この作品が人間たちがおりなすダイナミズムとは全く無縁のものであることを露呈している。たとえヤラレ役でも、ヤマトタケルに付き従う雑兵の姿すらない。これで熊襲征伐に行って勝ってしまうのだから、熊襲も嘗められたものである。
では主たる人物の造形はといえば、稚拙の一語に尽きる。ヤマトタケルはつねに宿命に押し流されておのれの考えなしに行動している。オトタチバナのほうが随分と積極的だが、大根で名高い沢口靖子であるのだから見栄えがしよう筈もない(オン、オンっておまえは『タッチ』の犬か)。そして死んだかと思えば宿命とやらで早々に甦ってしまう。おいおい、オトタチバナが海中に身を投げるのがヤマトタケル伝説の最たる悲劇ではないか。
そして美術のひどさ。御殿の中はライトに煌々と照らされ、あの時代らしさのかけらもない。そこにツヤありの合板ばりの壁など使うものだから、どこかのモデルハウスのリビングルームだ。服装デザインも日本の古代王朝どころか、中国はおろか欧州の甲冑もどきまで出てくる始末だ。そして神という神はTVレベルの怪獣ぞろいだ。
…しかし、これ以上罵詈雑言をぶつけるにも疲れてその気もない。唯一良かった点を挙げておこう。アメノシラトリに乗ったタケルたちがオロチに向かってゆくシーンは、一時とはいえ期待をもたせてくれた。『わんぱく王子の大蛇退治』のスサノオも然りだが、明らかに優勢と判っている敵の中央に向かっていく主人公に冒険活劇の妙はある。あの変なロボットは要らない。タケルとオトがともに剣に両手を重ね、オロチに突っ込んで首を一本ずつ刎ねてゆくのだったら、そのシーンは特撮史に残る名シーンになっただろう。たとえ他がお話にならないひどさであっても…。
ただし、これが「東映まんがまつり」の一本だったら、3点はあげていた。
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