[コメント] マイ・フェア・レディ(1964/米)
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原作(バーナード・ショウ『ピグマリオン』)では、イライザはヒギンズの元を離れ、フレディと結婚してしまうわけだが、リアリティとしても、現実そのものとしても、その方が自然だろう。男が女を自分好みに仕立てようとするストーリーは、古今東西数多くあるが、この映画や、『源氏物語』のような大団円を迎えられるのはまさにファンタジーならでは。
中年男が若い娘にみじめに振り回される様や、二人の間のラブアフェア(性的な行為としてだけではなく)の存在は上っ面しか描写されない。そして、イライザは天使として存在することが可能になった。もちろん、そんなのはリアルワールドでは到底望めないことなわけだ。
ヒギンズも、やはりイライザを失わなければ気づけないことの方が、やはり多かったのではないだろうか。あのラストシーンは、男性的封建社会による欺瞞にしか思えず、寒々とした印象をどうしても拭うことができない。彼には、自分自身のその幸せを、全身で受け止め、胸一杯に吸い込み、深く深〜く味わってもらいたい。彼は能天気にも全くの無自覚でいるが、三国一の(イギリス的に言うと五カ国一の……というのは閑話休題)幸せものであることは間違いないのだから。
余談
ピグマリオンコンプレックスの最大の殉教者の1人は、ドイツの怪奇文学作家ホフマンの『砂男』を原案にしたクラシックバレエ『コッペリア』に登場する。この作品で老人形師コッペリウスが愛情を注ぐ対象は、なんと自らの作った人形なのだ! しかも、その人形は村の若い娘にズタズタに壊されてしまう。
おそらく、現実はヒギンズの側ではなく、哀しきコッペリウスの方にこそあるのだろう。
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