[コメント] ベイビー・イッツ・ユー(1983/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前半の、若さゆえのあやうさにあふれた高校生デイズもさることながら、演技の勉強を極めようと進学した大学での、都会の、しかも(時代的に)退廃ムード漂う学友にとけこもうと必死で努力している様のロザンナ・アークエットの演技が素晴らしい。
表面的にはしだいにあか抜けてゆきつつ、けれども今ひとつとけこみきれないもどかしさを抱えた空虚で沈鬱な日常感覚が、彼女の細やかな演技から切々と伝わってくる。
また、だからこそ、悪友と強盗して得た金を元手にマイアミへと旅立ったシークを、ついつい訪ねてしまうジルの心情が自然に理解できる。
物語の最後、口パク歌手としての職をなくし失望したシークは、彼にとってのただ一つの心のよりどころであるジルの大学寮を訪ねる。 そこでふたりは互いの違いや気持ちを再確認しその感情を爆発させるのだが、この場面にみなぎる緊張感が凄い。胸が締め付けられるような恋心と越えることのできない差違への戸惑いがひしひしと伝わってきて、そんなふたりを見ているのが心底つらくなってくる。
そして、その嵐のような場面を経て、互いの違いや恋心のあいだにあるどうしようもない感情を抱えたまま、ふたりの恋と映画は終わる。シークのリクエストしたシナトラの曲にあわせ大学のダンスパーティで抱き合って踊るラストシーンは、胃がキリキリしてくるほどもの哀しい。痛々しい、と言った方がふさわしいかもしれないぐらいだ。
「アメリカにおいては高校時代だけが最後の民主主義の砦である。」というジョン・セイルズの言葉がパンフにあったが(ボブ・グリーンも同じことを言っていたような…)、まだまだ少年と少女といってもいいほどの年代にあるふたりを主人公に据えた恋物語のすべてがハッピーエンドであるわけがない、ということをしみじみ思わされた。
カタルシスのないカタルシス。虚無的でさえある現実。そんな映画。そして、だからこそ大好き。
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