[コメント] 救命士(1999/米)
終末的倦怠に支配された景色は、しかし何処にでもある都会の行く末。その中でなおも残酷な新陳代謝を繰り返す自らの哀切を、自覚していないが故に正気を保てる者達、自覚している故に狂いそうになる者達。この映画は彼ら=我々への深い愛に満ちた自嘲である。
主人公は、観客がこの映画を群像劇として観るように、また、そのためのフィルターとして機能するべく、抑制され、描かれていた。この珠玉の群像劇が、何処まで行ってもトラビス個人の物語でしかなかった(また、個人の物語であったからこそ、共鳴する者の自己投影を担うことが出来た)かの作品の亜流品であると語られる意味が解らない。
この作品の視野は、もっと広く、そして優しい、儚く見えるぐらいに。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。