[コメント] 三月のライオン(1991/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
灰色がかった画のなか、家財道具の両端を持ち階段を昇っていく男女と、その背後で鳴り響く解体作業の音。
監督矢崎仁司は撮影中、「この映画が撮れたら死んでもいい」とつぶやいた。 彼は次の新作を発表するまでに、それから10年の月日を要した。
技術でも巧みな脚本でもなく、ごく些細な部分が自分の感性を刺激することを感じ、映画に目覚めさせるきっかけとなってくれた。
(以下、追記、ラストについて触れています)
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ラストの妹の涙は何だったのか?あれは、到底これから予想される苦難の人生を引き受けるものではなかった。
思えばすべては、おままごとのような生活であった。兄にどうやって愛情を伝えたらいいかわからない妹が、唯一知っていたのは身体を交わすことだけであった。しかし、それだけでは何かが足りないことを、薄々気づき始めていた妹は、この生活が近い将来何かに奪われてしまうのではないか、常に不安を抱えていた。妹にとってのアイスとは、兄との小さな生活を、まるで駄々っ子のように溶けてほしくない、壊れてほしくないと願う気持ちを意味していた(それは兄の失った記憶ともリンクする)。アイスボックスは、妹のささやかな抵抗を体現する。
だが、三月は四月になる運命を背負っている。氷の溶ける季節、嵐の過ぎ去る季節は否応無しにやってくる。アイス、廃墟での生活は、はじめから溶ける運命にあった。
兄は記憶を取り戻す。そして自分がしてきたことの意味をすべて悟ってしまう。兄は大人であり、自分のしてきたことの責任を引き受ける覚悟をする。彼はけっして妹を責めることなどしない、だから子供を堕胎することなど、この物語では成立するべくもない。兄の最後の微笑みはその顕れ。
しかし妹にとって、その兄の微笑みは、恋人のものではなく、小さな頃から自分が憧れていたあの優しい兄貴の視線であった。必死で溶けないように守ってきたあの小さな生活も、包み込むような兄の優しげな眼差しの前にすべて氷解した。そして迷子になった子供が親にめぐりあえたときのように、妹は泣きじゃくる。妹は子供にすぎず、やはりどんなに背伸びをしようとしても、兄妹は兄妹だったのだ。彼らが将来社会の日陰で生きていかなければならない、とかいうのは、この話にとってはさほど重要ではない。
その意味でこの話は童話である。だからこそ自分が一番大切にしている心の奥底の部分をつかまれたような気持ちになる。趙方豪が死んでしまった今、スクリーンの中の彼の微笑みは、何か超越的なものからの視線にも思える。
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