[コメント] 不思議惑星キン・ザ・ザ(1986/露)
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まず、とても単純に面白い映画だ。逸脱する不毛な小ネタの数々が、寓話として縮こまることから映画を救っている。仕事から帰ってきて、はー疲れたと腰掛けた瞬間に「マカロニ買ってきてよ」。まさかのサラリーマン川柳(しかもソ連)の導入で、続く瞬間移動の「間」、不毛なディスコミュニケーション漫才におけるウラジミールおじさんのリアクション演技は完璧の一言だ。ゲデバン君も当然面白いが、核としてのウラジミールおじさんあっての面白さである。これは好調時のウディ・アレンにも比肩すると思う。オフスクリーンでゲデバン君が「放出」(無音!)される処理も最高である。以降もこれが筒井康隆的な倒錯の筋運びとともに持続されるのだから凄い。とはいえ、不毛そのものの可笑しさを提示する一本調子でもなく、「都心」における施政者の遊技場や、不毛な演技に思考停止で市民が興じる劇場には、その不毛な馬鹿馬鹿しさ故の恐怖感が生まれている。これが肝要である。真の恐怖は笑いと表裏一体なのだ。
寓意に目を向ければ、無視できないのは、砂漠、不毛のイメージである。水は燃料として使われたために失われたという。自由な言葉は禁じられ、特例は罵倒語のみ。技術のために生活が失われ、文化水準が低下して荒廃する。最初に現れた男も、瞬間移動装置を持ちながら靴下を履いていないのだ。ママー、ママー、どうしよう、あったかい肌着がない、のである。どこぞの国のようである。私はソ連よりも、東アジアのミサイル好きな某国を思い浮かべる。実に不毛だ。この荒廃が直接的、視覚的に提示されるためには、やはり舞台は砂漠でなければならないと思う。森林で成立する物語ではない。
鈴が醸すのは、制度に飼い慣らされる家畜のイメージである。ここでは何もかもが不毛なのだが、当の市民達にはその自覚はない。その無感覚の可笑しさ、恐ろしさ。
ロケーション、道具、寓意、情感が全て噛み合っている。とてもよく考えられ、実に不毛な可笑しさと恐ろしさに満ちた映画だ。
P.S 最初は嫌な奴で通すかと思われたウラジミールおじさんが存外にいい人で感動しました。ソ連の「文明」の茶化しに使われるだけのキャラかと思ったんですが。ラストのゲデバン君との温かい視線の交錯にはほろっときますね。
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