[コメント] 太陽がいっぱい(1960/仏=伊)
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アラン・ドロンほどのいい男だったら劣等感なんて抱くはずがない。そんな、われわれが普通に抱く心情を逆手にとって作り上げたスリラー。
フランス製スリラーは夜の闇よりもぎらぎら照りつける太陽の下がよく似合う。緊迫感よりも雰囲気優先、それがフランスのスリラー。いやむしろ、スリラーの形態を借りた、青春映画として理解すべきなのかも。
個人的にはもっとドロッとした、もしくは変化球のスリラー(抽象的で申し訳ない)のほうが好みだが、この手の作品では一級品であることは間違いない。
アラン・ドロンは文句なく美しい。その美が邪悪なものの身をまとってあわられた時の効果は絶大。冒頭、トム(ドロン)よりもフィリップ(モーリス・ロネ)の方が魅力があるように描かれ、もてている。その要因は彼に悪の要素が感じられるから。その反面トムは垢抜けておらず、彼のようになりたいと思っている。その解決法としてトムはフィリップを殺し彼に成り代わる方法をとったが、それは相手に嫉妬し憧れた結果としての手段であり、その複雑な心境は、例えば『マルホランド・ドライブ』や『ルームメイト』をも連想させる。そして殺人を犯した後彼が徐々に悪の魅力を持った風に描かれはじめ、アラン・ドロン本来の魅力が前面に押し出されるようになっていく。極めて巧みな展開だ。
僕には太陽の輝き=主人公が憧れるものの象徴として理解した。穿った見方かもしれないが、カミュの『異邦人』で主人公が言うように、彼も殺人の動機を訊かれたら「太陽がそそのかした」とでも言いそう。
ヒッチ映画とは正反対のフランス的なラストは好き。ただしニーノ・ロータの音楽は余り印象に残っていない。
リメイクは未見だが、ジュード・ロウはピッタシな感じ。個人的には彼のトムのほうが見てみたい。マット・デイモンはどうなんだろう?
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