[コメント] 小説家を見つけたら(2000/英=米)
凡人が「小説家を見つけたら」どうなるかという物語ではない。これは多少欠損している部分が違う天才同士の出会いの物語なのだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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小説家は外界に対して不自由な男である。偏屈に凝り固まって、外界に触れて自分のなかのモヤモヤを取り払ってしまうことを忘れている。
そこに現われるのが早熟の少年である。彼もまた類まれなる才能を有しているが、育ちゆえに才能を疑われ、肌の色ゆえにバスケで名を成すほうがふさわしいと誤解されている。
だが、天才は天才を知るものだ。偶然の出会いは僥倖だったが、それ以降彼らがお互いを認め合うのは雨がいつか止むときが来るように必然のことである。天才ではない自分はその幸福な出会いを羨ましく思うのみなのだが、天才と天才の出会いは徹底的に幸福であるか、不幸であるかしかない。不器用な作家コネリーが、まだ反抗心いっぱいの少年作家に支えられながら、彼の友情に応えるシーンにはやはり微笑を誘われる。
少年はまだ人生は語れまい。またその時期でもない。少年は老大家にはない自分なりの幸福をすでに持っているのだ(不幸も然り、だが)。コネリーはそんな彼にいくばくかの羨望を抱きつつ、幸福な関係を保てたことに満足して死ねた筈である。例えば「太陽と月に背いて」のランボーとヴェルレーヌの関係を知る方は理解してくださるだろう。それには、コネリー自身の努力がもちろん必要であったのだ。幸福であるために努力を惜しまなかったふたりの天才に、ささやかな祝福を…。
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