[コメント] ブロンコ・ビリー(1980/米)
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映画でしか西部劇を見た事のないビリー、映画のイメージを模倣して、映画以前のアメリカの原風景を再現しようとする、矛盾に満ちたヒーロー像を、イーストウッドは自嘲気味に演じてみせる。
ビリーは、冒頭から、給料の事を口にする仲間を詰る。この仲間たちは、前科者ばかりの、社会の逸れ者たちだ。ビリーはまた、養護施設や、触法精神病患者たちの施設にも、無料で慰問に訪れる。金ではない絆で他者と結びつきたいビリー。その思いがどこかから回りする様を描く適度な距離感も、この映画の美点だ。彼が例外的に活躍する、銀行での早撃ちの場面でも、彼の行動のきっかけとなるのは、子供が犯人に倒されて、貯金箱を割ってコインが散ってしまうショットなのだ。いい奴だなビリー。
一方、ヒロイン格のリリーは、結婚すら金の為にする、クールな女。彼女は、ビリー一座から疫病神扱いされ、義母からも死人として扱われる。金に困窮したあまり、古式ゆかしき列車強盗をやらかそうとするビリーに「お金ならあるのよ」と引き止めるのも聞いてもらえない。ビリーもビリーで、むしろ前からやりたかった列車強盗の理由付けとして、金の無さを利用しているんじゃないかと思える面も無くもない。
それにしてもビリーは、経歴はアレだとしても、銃の腕前だけは本物。仲間の、インディアン役の男にしても、なぜか芸に使う蛇は本物の毒蛇にこだわる。虚構である事を自覚しているからこそ、ここだけはという本物にかける、いじましいプライド。だからこそ、仲間の釈放の為に警官に「あんたの方が早撃ちだよ」と、勝負もせずに認めざるを得ないビリーが哀しい。
感動的なのは、なんといっても最後のショーの場面だが、インパクトという点では、テントの炎上の場面はちょっと凄い。夜の闇に輝く、観覧車のネオン。遊園地らしい楽しげな音楽が流れる中、テントは大きな炎を上げ、観客たちの悲鳴が響き渡る。優しく長閑な雰囲気と、悲劇の交錯。ノスタルジックでメルヘンな、黙示録的光景。
最後のショーでまずハッとさせられるのは、リリーが助手の衣装でスポットライトの中に登場する場面での、彼女の丸く開かれた目と、輝く笑顔。この瞬間に響く観客の拍手は、まるで彼女の帰還を祝福しているように聞こえる。ショーでビリーが「温かい拍手をありがとう」と呼びかける言葉は、映画の観客である僕らの方にもストレートに届いてくる。ナイフ投げでの、回転するルーレットにはりつけられたリリーの視点による、回るショットは、彼女がビリーに寄せる信頼の眼差しと、観客を一体化させる。
新しいテントは、星条旗で縫われている。幻想の「アメリカ」で充満した小宇宙。だがこれは、テントの中ではそうだとしても、外から眺めれば、ツギハギで補うしかない脆さ、ささやかな閉鎖空間としてしか存在できない哀愁も漂う。イーストウッドは、一人でアメリカを体現しながらも、そこには奇妙にナルシシズムが無い。甘く苦いノスタルジー。
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