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[コメント] テルミン(1993/英=米)

ワイドショー的美談に仕立て上げられた、「チョット変梃りんな楽器のチョットいい秘話」。
muffler&silencer[消音装置]

「テルミン」という《楽器》の表層的な歴史は十二分に語り尽くされていた。だが、どうだ。「テルミン」という《楽器》に関わった、翻弄された《人間》の深層的な歴史、語り尽くせぬ思い、肝心な部分は、ほとんどすべて、観客の想像力任せに終わっている。

それがドキュメンタリー映画としての「限界」なのだろうか。その「限界」の彼岸には、《虚像》しかないのであろうか。否、わたしはそうは思わない。

この作品における、人間に対する「ナサケ」や「ヤサシサ」のまなざしは、イマドキ重要だと思うし、好意的に受け取るならば、それがこの作品の長所でもあるわけだが、反面、物足りなさでもある。"迫る"部分がひとつもないのである。

「ここからは、カットね。」と言われて、引き下がるのは、人間として"正しい"。確かに正しい。だが、ドキュメンタリーとしては、どうなのだろう?

この作品の"何か"が胸に響いたとすれば、それはこの作品の"何か"、と言うよりは、あなたの想像力の"何か"である、と言い切ってしまおう。しかも、その想像力をかき立てる力は、この映画自体にあるのではなく、あくまでも被写体、テルミン博士とクララ女史の力にあると思う。

映画として、被写体と観客の想像力におんぶに抱っこでは、現実では見過ごしてしまう、見落としてしまう、皮膜のような"何か"を突き破る、迫真性のあるドキュメンタリー映画として、わたしとしては、認めるわけにはいかない。

テルミン博士の、ニューヨークの現在を見つめる、まなざし。そこに説明はいらない。しかし、だ。しかし、それで終わってしまうのは、逆説的に、単なるセンチメンタリズムに過ぎない。そして、それは《フィクション》の仕事だ、とわたしは考える。その後を追ってほしい、そのまなざしの奥にある記憶を、もっと追ってほしかった。「語り」に依存するのではなくね。

〔★3.5〕

[京都みなみ会館/3.19.02]■[review:3.22.02up]

(評価:★3)

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