[コメント] 清作の妻(1965/日)
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予想していたほど、邑社会はお兼の敵じゃなかった。因習とか世間の目とか、そんなものは今も昔もあるものだし、村人たちは好き勝手な噂をして歩きはするけれど、別段夫婦を引き裂くような真似はしていない。姑小姑の嫁いびりのレベルも普通だ(小姑に至っては後半お兼を暗に認めている雰囲気だったし)。若い女性からの嘲笑や揶揄も、村のヨン様(?)と結婚したら、おかねの身持ちはどうあれ避けられはしないだろう。
お兼の愛の、真のエネミーは清作。
なーにが「盲になって初めてお前の気持ちがわかった」だ。お兼は一人で耐えて来たのにお前はひたすら兵助におんぶに抱っこで、帰って来たお兼を許したのだって愛とか何とか言ってるけどホントのところはこれから一人で生きていくのが心細いだけだったんじゃねえのか、「二人で生きていこう」なんて抜かしながらお兼一人に畑仕事させて自分は座ってんじゃねーよ優等生って本当打たれ弱いなばーかばーか、てな心境である。それに比べたら兵助さんなんてすごいぞ。あの人畜無害の誰に馬鹿にされても笑っているだけの彼が、お兼を守ろうと獅子奮迅の働きをし、お兼拘留後は清作の眼となるべく、それまでほとんど喋らなかったのが、必死の努力で口を利いているじゃないか。清作も自分を憐れむ前に兵助さんの「男は黙って」の格好良さに感じ入ればーかばーか。
そんなヘタレのどこがそんなにいいのかと思い、そこだけやっぱりひっかかるから★4にしておこうかな、と考えて、ふと気がついた。
娘時代からずっと妾で、親からも道具としてしか扱われず、金には困らないけど一生日陰者暮らしが決定付けられていたお兼にとって、普通の男から普通に愛されたのって、清作が初めてだったんだっけ。
お兼も、愛にかけてはまだ雛鳥だったんだ。
「夫婦になる」って、長い道のりだなや。
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