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[コメント] 人間の証明(1977/日)

この12年後に松田優作が、ニュー・ヨークから日本に送り返された(『ブラック・レイン』)ことを思えば、感慨深いものがある。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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 物語の構造は『砂の器』(1974)の完全なパクリ。殺人事件の捜査過程で、事件そのものとは別に、事件に絡む登場人物たちの入り組んだ人間模様が解き明かされる。そして、彼らの背負ってきた過去が事件の鍵であり核心でもあることが明らかになる。と同時に、これが単に彼らの個人史と括られて終わるのではなく、戦後の日本社会が犯してきた罪や隠蔽しようとしてきた体質を浮かび上がらせる。つまり、単なる推理サスペンスではなく、世の中へのメッセージが込められている。ついでに言うと、音声学的な成果が捜査の決め手となる点や、捜査と称して日本全国を飛び回る観光映画な側面があるところまでまったく一緒。この点に関して、キーワードが英語だったり、ニュー・ヨークまで捜査に飛ぶこの作品はいかにも現代的、というか当時としてはちょっとやり過ぎの感がある。

 だが、込められたメッセージというか、社会に対して言っていることは正反対だ。

 『県警対組織暴力』(1975)の中で、笠原和夫の脚本は菅原文太にこんなことを言わせている。 

久能刑事(文太):あん頃はのう、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、横流しの闇米喰ろうて生きとったんで。あんたもその米で育ったんじゃろうが、おう。綺麗ヅラして法の番人じゃなんじゃ言うんじゃったら、18年前ワレが犯した罪清算してから、うまい飯食うてみいや!

これを援用して言う(と汐路章にドヤされるのだが)なら、戦後からこの方、日本と日本国民は、上は天皇陛下から下は赤ん坊まで、オノレが犯した罪など清算せずに社会を築いてきた。正確に言えば、そうしなければ生きてこれなかったから。この「罪」を罪と認識するかどうかがまず一つ。もう一つの問題は、罪と認識したとして、それを糾弾するかどうか、である。

 実際にはこの映画も、直接的に糾弾しているわけではない。あくまで、松田優作(棟居刑事)の鋭い目つきと傲慢な態度と国際的に通用する感覚(と言っても、英語がペラペラなだけだが。われわれは、英語ペラペラには弱いのである)でもって、無言の内に迫っているだけである。それを受けた岡田茉莉子(八杉恭子)が、罪と贖罪の必要を感じ、勝手に自殺を選択したに過ぎない。

 私としては、ひき逃げを告白した息子(岩城滉一)に逃亡をそそのかす母(岡田)の主張に、ずいぶん身勝手な理屈だな、と感じていた。刑に服すことは贖罪にはならない、罪を背負ったまま生きていくことが「人間の証明」である、と言うのである。しかしそこまで言うのなら、どんなことがあっても徹底的に生き抜いて見せてほしい(=そういう人物として描くのだろう)とも感じた。だから岡田の自殺という結末には、なんと出鱈目な人物設定だ、と感じざるを得なかった。

 ただ、この時代にニュー・ヨークの市街地で岩城滉一と松田優作が追っ駆けっこを繰り広げるなど、日本映画を語る上では、観ておくべき作品の一つである、と言えると思う。

75/100(04/09/26記)

(評価:★3)

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