[コメント] トレーニング・デイ(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ジェイクは帰宅後、妻になんと報告しただろう?
喫茶店から、0時過ぎにアロンゾが殺害されるまで、ジェイクの経験したことはあまりに多かった。
私が考えるに、ジェイクは極度の困難を切り抜けるという経験をしたものの、正義と悪については、混乱するだけで何も答えを得なかったと思う。もし何か得たとしても、それは、この世に正義は存在しない・・・といった絶望感だろう。
結局、彼は妻に対し、沈黙するしかなかったのではないだろうか?
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本作で描写されたアロンゾとジェイク。彼らの描写にある小説を思い出した。
(以下、引用文。特に<<中略>>以降がポイント。)
「 美 − 美という奴は恐ろしいおっかないものなんだよ!つまり、杓子定規に決めることが出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。美の中では両方の岸が一つに出合って、全ての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけど、この事はずいぶん考え抜いたもんだ。実に神秘は無限だなあ!
<<中略>>
ああ美か!その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を懐いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の思想をもって終わるという事なんだ。
いや、まだまだ恐ろしいことがある。つまりソドムの理想を心に懐いている人間が、同時にマドンナの理想をも否定しないで、まるで純潔な青年のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。・・・」
<<以上「カラマーゾフの兄弟」;ドストエフスキー著、新潮文庫刊 からの引用>>
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アロンゾは、上の引用文の<中略>以降のどちらのタイプにあたるだろうか?
正義にはじまり、悪に至ったアロンゾは<前半>のタイプともいえるが、「巨悪を倒すために悪行をする(ことは自分の正義)」のようなことを随所で発言していたように、彼はソドムとマドンナが同居した人物として描かれていたと思う。
(※ 彼の台詞は、トレーニングデー(訓練日)という設定にしても、ジェイクと我々観客に対し、気持ち説明的な気がした。とことん行動で語るほうが自分の好み。)
では、ジェイクは?
本作の描写では、ジェイクは普通の正義漢に過ぎないようだが、日付が変わってからの彼の描写がまるで無いように、彼も悪の根源を絶やすために、ソドムの道に行くかもしれないという含みを持たせていたように思う。
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私は、アロンゾの生き様に惹かれる。彼は、一匹狼なのだろうか? それとも、上役(国家)に育てられ、飼われ、捨てられた狼なのだろうか?
金を失ったラストの彼は、どこへ行こうとしていたのだろう?
命を狙われる立場にもかかわらず、交差点で赤信号を守る彼の姿は、もはやソドムの心や生への執着、そして行く当てが無くなっていたことを示していたのではないだろうか?
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日本人でも、歴史上偉大な業績を残した人物は多かれ少なかれ、ソドム(悪行)を行っている。
織田信長の比叡山・一向宗の虐殺(→政教分離)と、大久保利通の江藤新平の処断(←政権争い)と西南戦争の誘発(→不平士族の一掃)は、その最たる例であろう。相手をなぶり殺したにも関わらず、彼らの総合評価は高い。
彼らは新たな時代の基礎を造るために、多大な血を流した、ということだろう(正義と悪は紙一重)。
共通する点は、自身の安全の確保に疎い点。織田信長、大久保利通、その最期はあっけなかった・・・(それぞれ謀反・暗殺による、無防備なまでの最期、その死に様には潔さも感じる)。
アロンゾにここまでの理想があったかは定かではないが、彼の生き様と死に様は、信長、利通に似たものがあるとおもった。
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