[コメント] 害虫(2002/日)
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「害虫」とか「益虫」とかいうのは、自身は知らないところで、外側のある立場から一方的な便宜でとらえられた時の呼ばれ方である。自分の存在とは、自分自身が「本当の私」とか思っている内面もあれば、社会的な関係性の中で勝手に他者から定義されてしまう側面もある。作者がこのタイトルで意味したのは、ヒロインが害虫である、というより、ヒロインから見ると「だれが害虫なのか」っていうことなのではないか、と思った。すなわち、噂話を絶やさないクラスメート、性欲を満たそうといいよる男、何かと心配してくれる親友、そして昔の担任の先生…。これは、少女期という未熟な精神が定義する「自分を傷つけるものたち」を描くことで、「少女」というものを描こうとした作品のように思った。
テーマがそういうことだとすれば、それはそれでわかるのだけれど、私はこの話の決着のつけ方が不満だった。サチ子の最後の行動は、今までの自分を呪縛していたものとの訣別かも知れないが、外界に対して心を閉ざしていることに変わりはなく、彼女の精神はちょっと変質しただけで、周囲の存在に対し「害虫」とみなすような心において、その本質は何も変わっていないと思う。他者なり外側の世界へは無理解であり、「自分」とは自己の中心へ向かうことに意識が向けられ、外側や他者との関係の中での「自分」というものをとらえないという考え方が多い今という時代に、こういう状況だけを再現してみせて終わらせてしまう作り方ではなく、どこかでサチ子を非難して見せて欲しかった。(人種差別が強い場所や時代で作られた作品で、主人公が最後に新たな偏見を抱いて終わるという締めくくりだったらどうだろう?)宮崎あおいが出ていることを差し引いても好きなほうだったが、この落とし方でマイナス1点。「傷ついていく少女」というのも、美少女にエッチな萌えを感じるのもおんなじで、少女に対するファンタジーでとまっているという気がした。自分が別の時期に観れば、それでよかったと思ったかも知れないけど。
蛇足ですが、サチ子のサチというのがカタカナというのでひっかかったのですが、作者は「ドカベン」の愛読者でしょうか? ドカベンに出てくるサチ子と夏子というのは、前者は美形で後者はブスというような容姿で描かれているのに、岩鬼という男にだけはまったく正反対の見え方をされているという2人です。ここから名前をいただいたのだとしたら、身勝手に決め付けられる価値みたいなものに対する作者のメッセージであることは間違いないでしょう。←なんて言っているのは間違いなく私ぐらいのものでしょう。
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