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[コメント] タイムマシン(2002/米)

観客を驚かせるという映画の古典的使命に立ち返った結果、観客をして去年の夏休みにタイムスリップさせてしまった。珍事であった。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







CGを始めとする特殊技術の飛躍的な進歩により、逆説的に魔法が消滅しつつある昨今のスクリーンにあって(早い話が、どうやって撮ったんだろう? という驚きが無くなったということ)、“映画館はあくまで驚きを提供する場である”との古典的使命を背負い込もうとした意気込みは買いたい。序盤から中盤にかけてはかなり楽しんだ。デザインや意匠に、技術を先行させない、アイデアの面白さがあったからだ。

ところが終盤、やけに引っ張られるモーロック、その無表情故に最初は驚きに値した彼らであったが、その描写が表情から行動に、行動から全体に移るにつけ、だんだん去年暴れ回っていたやけに表情豊かな、しかし、その顛末はやっぱりおサルなお猿さん達と区別がつかなくなってしまったのは致命的だった。

彼らを引っ張るなら引っ張るで、何故もっとその出生にスポットライトを当てなかったのだろう? もっと衝撃的な捻りを用意すれば、驚きだけで最後までいけたのに。

いけなかったせいで、こちらは映画の主題を思い出してしまう。

そもそも主人公のタイムトラベルの動機は愛する者を取り戻すため、運命を変えるため、過去を変える…だったはずだ。ところが過去は変えられない。では何故、過去は変えられないのか? その答えを見つけるために、今度は未来を目指す。得た答えは、過去は変えられないという絶対的な真理。しかし、そこで主人公は思い立つ。過去は変えられないが未来は変えることが出来る! と。

問題点は小さくない。未来は変えられるんだ! というメッセージはいいのだが、主人公の行動に正当性はあったか? ジェレミー・アイアンズ(背景にいるカットで背中がひくひく動いていたのには感動!)が言う通り、科学の申し子たる主人公には、モーロックの功罪を問う資格など何一つないのだ。エロイのためにモーロックを虐殺する顛末など、歴史的、文化的背景を無視した偽善かつ独善的逆切れに他ならない。

そもそも個人の天動説的な我が儘から事は始まった。でもそれは、−愛する者の死を回避したい−、確かに誰もが共感しうる我が儘だったはず。だからこそあんな風に話をすり替えず、最後まで“彼女の死”に拘って欲しかった。彼女を救えるかどうかは、さして重要じゃない。救おうとして、もっと死に物狂いになるアレクサンダーが見たかった。古臭い話になる? 確かにそうかもしれない。或いは、原作との兼ね合いもあろう。でも映画は映画だし、何より重要なのは、リメイクに際し立ち上げた設定を煮詰めることのはず。この場合は、彼女の死だ。奔走し、救おうとして、それでも救えず終わるという古典的な悲劇にしてしまう。その方が、観客の心には何かを残せたんじゃないだろうか。

(評価:★3)

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