[コメント] マイノリティ・リポート(2002/米)
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本作で登場する透明のディスプレイは、壁掛けもできる薄型ディスプレイが市場に出回りつつある今、技術者の当面の目標でしょう。3次元の立体映像も出てましたね。適度な映像の歪具合に、なかなかのリアリティを感じました。(写真が)動く雑誌、これは可能かどうかの前に必要で無い気がする。
50年後に壁を走る車はちょっとイメージできませんが、発想は面白いと思いました。ただ、人の脳波を映像にするという本作のコアの技術は50年ではとても無理だと思いました(出来たらマジ凄いですが・・・)。 あと、網膜で人の行動を管理するシステムは、技術的には今でもそれなりに可能でしょうが、全ての個人行動が管理される訳で、プライバシーの保護の観点から法律的に不可能だと思います(日本の高速道路のETCシステムもこの点は問題になりました)。
以上を前置きとして・・・
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さて本作。技術者たる局長ラマー・バージェスらが開発した未来の殺人予知を可能としたプリコグシステムを巡るお話しですが・・・、 それは未然の事態に対して正義を司る超法規的処置に他ならなく、司法というよりは、宗教で言うところの神の領域に近い。技術者としての究極の目標が、法律を支配すること、神になることだとしたら、そんな恐ろしいことは無い。少数の予知は切り捨てるという、本作のマイノリティ・リポートの定義にもあるように、人の成すことに完全なものはないのです。
本作においても、プリコグの殺人予知能力を映像にするという思想や技術に対して、プリコグの予知と誤予知(夢、妄想、願望、復讐心など)を技術的に区別できるか? 倫理的に問題ないか? 法律上は? などという点に、当局の誰しもが疑問を抱いただろう。技術スタッフにとって、そんな疑問を解消する唯一の道は、プリコグから人間性を取り去り、暗黙裡に神聖な存在にしてしまうことであった(司法官ウィットワー(コリン・ファレル)は、まずここに懸念を抱いていましたね)。
結果、神聖化された正義を手に入れた当局スタッフは殺人を食い止める為に何でもやるし、局長バージェスは、「正義を維持する為に」、プリコグ(サマンサ・モートン)の返還を求める母親を殺し、妨害する司法官ウィットワーを殺し、邪魔者アンダートン(トム・クルーズ)を陥れたと、自身の行為を正当化させるに至る。バージェスは、死を選ぶ寸前まで、自分に正義があると思い込んでいたんだと思う。
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本作には「最先端の技術は、いつしも、万人が使うものであって、万人が支配されるものではない」とのテーマを感じる。 これは支配する主体は異なれど、『スターウォーズ』シリーズ、『ターミネーター』シリーズなどにも通じるSFのテーマの一つだと思います。
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