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[コメント] 六月の蛇(2002/日)

それぞれの雨季
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ほんとうの自分なるものが普段は抑圧されており、それを見つけ出して解放してやることが、よいことだ、正しいのだ、とかいうような話が好かれる時代に、「自己の解放」などこれっぽっちも持ち上げない作りが好き。妻は自分の鬱屈した性欲を蛇男に暴き出され、抑圧した自分を解放する。しかし解放されたそれが「本当の自分」だったのだろうか? 

昔のTVドラマに山田太一作の「それぞれの秋」というのがあって、主人公の老人が脳腫瘍か何かの影響で、思っていることを無意識に何でもぽんぽん言ってしまうようになり、長年連れ添ってきた妻へ、いままでの不満(本音)をあれもこれもぶちまけ始める。「本当はお父さん、そんなふうに思っていたんだわ」と妻は傷つくのだが、子供たちが、「そういう不満を感じていてもそれを口に出さない思いやりのある人こそ自分たちの知っているお父さんだ、我慢してきたお父さんだって本当のお父さんだ」とか何とかいう。そんな話だった。

夫は、妻がその欲望を解放する現場を目撃した後、妻の秘めたる情欲に対し、ショックや嫌悪や嫉妬のようないろいろな感情に混じりながらも、「それを我慢してきた妻」という姿に自分への愛を感じ始めたように思う(翌日の朝食のシーンの神足裕司の表情がいい)。そして、乳房を切除することを自分が嫌がったため癌の手術をしなかった、そして自分は死ぬが「本当の自分」のことも知っておいて欲しい、と、その情欲を解放するところを写真に撮って渡すよう頼まれたことを蛇男に告げられ、ようやく確信にいたった。もはや妻に頭を垂れ許しをこうしかなかっただろう夫を妻は幸福そうに受け入れる。夫は何もせずに妻に許されるという、都合のよい結末ではあるが、この時の妻は事実「幸福」だったと思う。彼女が「解放」されたとしたら、まさにこの時だろう。

「誰かと恋愛関係をもつ」ということが、自分の快適の延長線上にしか認められなかった夫の幼い恋愛感情が変化した。「自己の解放」うんぬんというなら「潔癖症」という、本来の自分から解放され、他人(妻)と肌を触れ合いたいと思えるようになったこの夫のほうとはいえまいか。妻は蛇男によって抑圧した自分を解放する、しかし彼女の場合は「それが何だっていうのよ」と自分に激しく問い掛ける理性があった。抱いてはくれないが、夫は夫なりに自分を愛してくれているという愛に応えようとしたのか、そういう夫を何とかしてあげたいというカウンセラーとしての矜持だっただけなのかも知れないが、自分の抑えていた欲望を解放してくれた相手を、結局は一顧だにせず、救いを夫とともに求めようとしたということこそ、この女性の本当のこの人らしさとはいえまいか。

まあそんなことよりも「お前の妻への接し方は間違っている」とかいうような説教を、メタルチンポくねらせながら叫んでいるという変態ぶりがたまらなく好印象。セックスレス夫婦とストーカーというキャッチーなストーリーを楽しんでいた人たちを爆死させてでも、大好きな変態を自ら演じる監督にとって「自分の解放」なんか、ことさらとりあげるに値しないテーマなんだろう。

(評価:★4)

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