[コメント] ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003/米=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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片田舎に行ってさ、差別や偏見と戦いながらさ、怪しい車とかに追われたりしてさ、んで結局頭の悪いアメリカ国民の納得するようなハッピーエンドは迎えないというね、もう理想的な「社会と戦う」アラン・パーカーフィルム。ま、勝手に私の中で作り上げたイメージなんだけどね。 私がアラン・パーカー作品を観るのが十数年ぶりだから、アラン・パーカー健在!って感じで嬉しかった。 今の若い人達がデビット・フィンチャーの『セブン』に熱狂したように(したのか?)、当時の若者(大学生)の私なんぞは『エンゼル・ハート』に熱狂したもんだよ(俺だけか?)
そんなわけで、彼はいわゆる社会派なんだろうけど、どうも私はその「テクニシャンぶり」に目がいってしまう。「一体何事か?」と思わせる冒頭から流れるように「人物が動き続ける」ことで生み出す映画的運動。その中で語り尽くす状況設定。観客を映画にひきつけると同時に物語に引き込んでいく。難を言えば、映画的運動はたくさんあるが映画的ショットはあまりないってのも特徴なのだが。
勝手に断言しよう。アラン・パーカーは社会派を気取っているわけではない。そういう話でないと食指が動かないだけなのだ。死刑制度の是非を問いかけることが主目的ではなく、そういった社会(あるいは制度)が生み出す「恐怖」とその中で戦う(翻弄される)「人」に興味があるのだ。(これが観念的になると黒沢清と似ると思う)
「実現不可能な夢を追うことで人は生きている」みたいな事を言っていたが、死んで夢を成就させるという荒技を演じた者の話ととれなくもないし、死んでもなお実現不可能な夢ともとれる話だ。
どうでもいい話だけど、音楽は息子達なんだってよ。
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