[コメント] 突入せよ! 「あさま山荘」事件(2002/日)
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フィクションにしたのは、この作品の目的が実際に起きた「あの事件の解釈」をするということではなく、その中から何か普遍的なテーマを抽出しようとし、その表現のために不都合なものを削除したり改変したかったからだと思う。そういうのの良し悪しは別にして「あの事件のことを正しく語る」ことは放棄します、とはなから言っているのだからしょうがない。ただしじゃあ何が言いたいの? というのは大事なことになってくる。仮にも「ほとんど事実」の再現をしておいて、歴史の本質を恣意的に歪めたり、事件当事者を弄んだりすることは言語道断だし、単に観客の興味をひくためだけのものだったら失望しただろう。
制作者の狙ったものと同じかどうかわからないが、自分が感じたことがこの作品のテーマだとしたら、この「ほとんど事実の作り物」という選択も理にかなっていたと思う。あくまで「作り物として面白くあるため」ということで考えてみれば、「混乱」の背景にあるものがしっかり描けていることが何より大事。こいつがうまくできていないと混乱している様がただの馬鹿馬鹿しいものにしか見えないからだ。席次に気を遣う階級意識、対抗意識から起こる非コミニュケーションぶり、指揮官の指示とおり何も考えず動くのか、現場が状況を考えて行動するのか? 絶対的な指揮の不在から派生するさまざま思惑・解釈、いくつもできる壁、壁、壁への憤懣、焦りからつい防御盾から身を乗りだして怒鳴りまくる。まったくの架空の設定でそんな説得力のある背景を説明したり、状況を作り上げるのはどうだろう。「事実の力」を借りないと2時間そこらの映画には無理ではないだろうかと思う。
ある目的をもった集団が、そんな「準備不足」を抱えたままの状態で、集団行動に突入してしまい、案の定、企図したとおりにいかずめちゃくちゃになっていく。そんな光景を日常でもよく見かけませんか? そしてその続きとしてこんな光景も目にしませんか? その集団の目標がいまだ「一つのもの」であり、分散していないかぎりは、ここから「何とかしてしまう」集団の姿を。計画どおりきれいにはいかない。しかしこれが崩れてから、本領を発揮する、みんなが頑張りだす、どうにかこうにかその場の力学で成し遂げる。結局、いつだって人間はそんなふうにしか集団行動をとれないんだな、と嘆息しながらも、でもまあすごいじゃないか、という感慨がまざまざとわき起こってくる。私はこの作品をそんなふうに見た。
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