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[コメント] ロード・トゥ・パーディション(2002/米)

アメリカの家庭崩壊劇『アメリカン・ビューティー』の次にサム・メンデスが描いたのは、アメリカの親子再生劇だった。見事です。[新所沢Let'sシネパーク・レッドスポット/SRD]
Yasu

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







こんなことを言った人がいる。

親や目上の人間に礼を尽くす日本と違い、伝統的に弱肉強食の世界であり続けてきたアメリカでは、「父親」と「息子」の立場は対等である。そして息子にとっては、父親とはいずれ乗り越えていかなくてはならない存在なのだ。自らが成長して強くなり、父親が老いたらば、それは避けがたいことなのだ、と。

この映画でいう「親子」とは、サリヴァンとマイケルのことだけを指すのではない。まず忘れてはならないのが、サリヴァンとルーニーもまた親子同然の関係だったということだ。

ルーニーの不肖の息子・コナーのために窮地に追い込まれたサリヴァン。サリヴァンが反撃に出るのは当然の行動だが、それはまたコナーの実父であるルーニーとの衝突をも意味する。それでも、父親とは乗り越えていくべき存在であるとするなら、サリヴァンはその衝突を避けるべきではないのだ(そして事実衝突した)。ルーニーもまたそれを理解していた。つまり、サリヴァンに撃たれたルーニーの最期の言葉「お前で良かった」とは、すなわち「息子同然であるお前の手にかかるのなら本望だ」ということなのだ。

さて、こうして「父親」を乗り越えたサリヴァンだが、そもそも彼がこのような道に進んだのは、一にも二にも生活のためであったわけだ。サリヴァンには父親がいなかったと劇中で語られるが、貧しく、他に当てもなく、頼れる人間はルーニーだけだったのだろう。

その結果、人殺しという汚れた仕事までこなさなくてはならなかった父親。しかし彼は、息子・マイケルには決して同じことをさせないように心を砕いていた。やはりサリヴァンには、自分のやっていることは道理にかなったことではないという思いがあったはずだ。そして、(いささか乱暴に考えるならば)いずれ息子がこんな自分を乗り越えていく時が来るとすると、生きるために人を殺さないで済むことこそが、父親である自分を息子が乗り越えていくための条件だ。そう彼は思っていたのではなかろうか。

結果、サリヴァンはマイケルにただの一度も銃を撃たせることなく死んでいった。そして、その時以来銃に触れていないと述懐しているマイケルは、父親の望み通り、それによって父親を越えることができたということになろう。

この作品の舞台である1930年代のアメリカは、ちょうど大恐慌の時代。生活のため、このような裏稼業の道に足を踏み入れた人間はきっと多かったに違いない。しかしそんな中にも、息子には同じ道を歩ませないサリヴァンのような父親たちがいたおかげで、今日のアメリカの繁栄が成り立っていると言えるかも知れない。

息子であるマイケルの世代が語るこの物語は、「我々の先祖は、自分たちだけが全ての罪をかぶることで、子孫である我々が手を汚さないで済むようにしてくれた」という感謝の念が込められているのだろう。それを考えると、本国アメリカでこの作品の人気が高い(2002年10月現在、IMDb での本作の平均点は8.2)のもうなずける話だ。

(評価:★5)

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