[コメント] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(2007/米)
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ダークな雰囲気やゴシック様式。彩度を落としてモノクロ風にした美術など、バートン流のケレン味に溢れているし、19世紀ロンドンの描写もかなり細かく演出出来ている。情け容赦のない殺害シーンなんかもしっかり描写。19世紀のロンドンに思い入れが強いらしいデップも内に狂気を秘めた凶暴な役を実に楽しそうに演じていた。少なくとも、これを観るだけでも充分本作の価値はあり。
ただ、グロテスクさと言い、ミュージカルパートと言い、私の好みとはややずれが生じている。かつてひどく失望した『マーズ・アタック』の時と同じ気持ちにさせられてしまった。面白い部分より疑問に思う部分の方が多い。
いくつか例を挙げてみよう。
一つにはそれは本作のミュージカルパートにある。
優れたミュージカルは、歌の部分で物語を説明しつつ奥行きを広げる。例えば『オペラ座の怪人』があれだけ長い原作をコンパクトにまとめられたのは、ミュージカルパートのお陰に他ならない。あの作品の場合、ミュージカルが物語をしっかり補完しており、主人公達の心情に奥行きを与えているのだ。しかるに本作の場合は、ミュージカルパートはミュージカルでしかない。そこで心情を吐露することはあっても、物語そのものに寄与する部分が少なすぎる。結果的に演出過剰なだけになり、登場人物の奥行きさえ広げられてない。キャラクタに奥行きが無く、見たまんまでしかない。しかもミュージカルが印象に残らない。
二つめに、そのミュージカルパートが足を引っ張ってしまい、物語が極端なまでに簡素化されてしまったこと。特に致命的なのが動機の部分。幸せ絶頂の部分を丁寧に描くことで悲劇はメリハリを増すのに、その部分を簡素化しすぎたため、スウィニーは単なる凶暴な人間にしか見えなくなってしまった。その割に殺人シーンがやたらたくさんあるため、内容があまりにも単純で、メリハリがない。ただ残酷なシーンだけ連ねただけになった。
三つ目。雰囲気の演出に凝ったり、殺人を次々にこなすよりも、殺人の後始末を丁寧に描いて欲しかったという点。ミセス・ラベットの説明で「身寄りのない人や旅人ばかり」と一言では、説得力も何もない。しかもあれだけのサンルームで外から人に見られてないと思う時点でどうにかしてるんじゃないのか?ラストシーンだけパイから指が出ていたけど、あんな杜撰な管理ではそれ以前に出ていて不思議じゃないだろ?事務的物理的に死体処理を、それこそねちねちと丁寧に描いてこそ、本作のディテールは映えるんじゃないのか?少なくとも私は本作を観る場合、殺人そのものよりもそっちの方に惹かれる。
設定という点であれば、生きている娘を何とかしようとか全然思いもしないスウィニーの性格も難点か。完全に狂っていたとしても、否、狂っているからこそ親子の情を描いて欲しかった。『ビッグ・フィッシュ』でのあの細やかな親子の愛情の演出は何処に行った?
少なくともデップ、ボナム・カーター双方の演技は鬼気迫るものがあり、実に楽しいし、ゴア演出も映えているのだが、やっぱりちょっときついな。デップ&バートンのコンビ作では初めて評価が低くなってしまった。
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