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[コメント] カビリアの夜(1957/伊)

女である苦しみ、人である叫びの苦悩、目が良すぎるがために暗部の深淵を見過ぎてしまう事の奇蹟。平穏無事な生活・人生の流れの下にある不完全な素晴らしい価値観は、一度死の淵という媒介者を通さなければ真に誕生しないのか。素晴らしい素質であればあるほどに、それは絶対避けては通れぬ茨の道なのか。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







答えはYESだろう。

失敗は成功の母であり、失敗は成功の始まり、若い時の苦労は買ってでもすべきであると、LINUXなどが誕生するよりも遙か孤高の時代、昔の人々は経験を持ち寄りオープンソース活動で文字の羅列に堅牢な性質を持たせて不朽の名言を完成させたのだが、その名言はカビリアの姿に用意されていたものであって、カビリアのカビリアによる人生ルネサンスの爆発を支える援護射撃の為の弾丸であると、ここに言い切れる。

で、そのカビリアを演じた、毎度おなじみの「典型的イタリア女の基準値」ジュリエッタ・マシーナの偽り無い超リアルな演技は、この作品でもユネスコ人間世界遺産の一つとして称えられる権利を擁していると言っても過言ではないほどの素晴らしい仕事をしている。

さらに、それを引き出したフェデリコ・フェリーニの視線は鋭すぎて鳥肌がそそり立った。ラスト、彼女の涙で光をまとった笑顔で、これからの彼女の旅路を燦然と照らすとは……本当に滅多にお目にかかれない、素敵なハイセンス作品を鑑賞できたので無意識にスタンディーグオベレーションに感動です。

思わず泣きました…。

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【カビリアの笑顔】

[解説]カビリアの笑顔は不幸のリセットであり絶対の幸福の始まりの到来を迎える受け入れられる準備が万全に調ったというマリア様またはカビリア自身への意思表示。《類句》「笑うカビリアに福来たる」(『カビリアの辞書』より)

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蛇足:

溝口健二監督の『西鶴一代女』は、一人の女性を救い無く十中八九悲劇的に思えてしまうオチで幕が下りた。文化の違いで比較を終わらすのは恐ろしく不幸な乏しい発想なんだけれど、この差(溝口:救いの光が弱い フェリーニ:救いの光を見せる)は「文化の違い」というワードを使わずして語れないのかもしれない…が、監督のスタンスの違いとしてみるとスンナリいくのかもしれない。(それに救いを入れる監督は幾らでもいるし。)

溝口健二監督の体制批判思想はストレートに心を掴んで離さずしめつけてくれて、フェデリコ・フェリーニ監督の“それら”はバランスの良い投球フォーム&内容で心をズバッと撃ちとってくれる。

で、

そんな両者の、永遠の封建制度が蔓延る大地に生きる人間の凝り固まった既存の存在の使い廻し菌が巣くう価値観を明朗快活にスクラップ&ビルドする精神が好きだ!(蛇足らしいオチ)

2003/3/16

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)週一本[*] ぱーこ[*] ボイス母

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